長居療法院なごみ

すかっとジャパン (右前腕の痛み)

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心に残った患者様との思い出

すかっとジャパン (右前腕の痛み)

そのご婦人が右前腕を痛めたのは、友達から誘われた木琴のサークルに入会して木琴の演奏をするようになったからだと言う。くりはら鍼灸整骨院時代の患者さんです。七〇歳を過ぎて、身体も元気。三人の子供もそれぞれ独立して、ご主人と二人きりの生活。家事といっても大した事もなく、暇を持て余していた。そんな時に、気晴らしに木琴のサークルに入らないかと誘われたそうです。
「もともと音楽は好きでしたし、ピアノも勉強していたので、家で主人と毎日顔を合わせているのも退屈だし、友達も出来て楽しいだろうと木琴のサークルに参加しました。
最初は木琴は初めて、わたしに出来るのかと心配でしたが、ピアノをやっていた時の経験ですかね、結構気楽に入っていけました。すぐに覚えました。親しいおしゃべり仲間もできて、練習に行くのが面白くなりました。腕も上げました。今度、発表会をする事になりました。
ところがですね、一生懸命やり過ぎたせいか、右前腕を痛めてしまった。腕を上げて振り下ろす時に痛みが出る。右腕が痛くて叩けない。来月、発表会なので、それまでに治して欲しい。」
そのような症状の訴えでした。
腕を上げる時は全く痛みは出ない。下ろす時も、何も持たなければ痛みは出ない。何かを持って力を入れて下ろすと痛みが出て来る。慣れない腕の動かし方が、痛みを誘発したのでしょう。
「発表会まで、一ヶ月ちょっとある。大丈夫です。でも、その間、練習は少し休んでもらわねばならない。」そう返答する。
「どれぐらいですか?」
そこが一番の問題。痛みが取れても練習が出来なければ意味がない。
「一週間ぐらい練習を休んで様子を見ましょう。それぐらい休めますか?」
「大分マスターしているので大丈夫だと思います。とにかく、今は痛くてばち (マレット) が持てないので、休まなくては仕方がないです。」
「とにかく、早く練習が再開出来るように頑張りましょう。」
「孫も見に来るのです。おばあちゃん頑張ってねって。だから、なんとしても治したい。まさか、腕に痛みが出てくるなんて夢にも思わなかった。」
現実はそのような不条理な事の繰り返し。慣れない筋肉を使ったので、筋肉がびっくりして炎症を起こしてしまう。せっかく練習したのに、その努力が別の悪い扉を開けさせてしまう。なら、最初からやらなければ良かったでは人間努力しなくなる。
「諦めない事です。無痛ゆらし療法で完治しますから。」
「頼りにしています。」
そんなやりとりでその日の施術は終わりました。
施術後、棒のようなものを持たせて木琴を叩く仕草をしてみましたが、痛みはほとんど取れていませんでした。施術はこれからです。

それから、一週間に二回の頻度で来院。一週間どころか、二週間以上も練習が出来ませんでした。それでも、施術を信じて来院してくれました。
施術が六回目ぐらいになった時、痛みはまだ残っておりましたが、ばちが動かせる状態まで回復してきたようで、練習を再開してみると少し安心した様子を見せてくれました。
そんなある日、孫と大阪の市営バス (現在は民営化されて大阪シティバス) に乗った事を話してくれました。
孫は六歳の男の子。小学校一年生。よく住之江の家まで遊びに来てくれる。大変なおばあちゃん子で、遊びに来るといつもおばあちゃんのそばを離れないとか。
始発の住之江公園から終点の出戸バスターミナルまでの乗車。出戸には娘(孫の母親)が住んでおり、孫を送り届けるところでした。小さい子供連れなので、一番奥の席に乗車。発車を待っていると、一人の中年の男性が携帯電話を片手に乗ってくる。乗車間際から、携帯電話で大きな声で話している。大柄で、一見やくざ風の強面。乗車口の横にドカッと腰を下ろす。腰を下ろすと、足を組んで、相変わらず携帯電話で大声で話している。その声がバス中に響いている。
バスが走り出したが、一向に話を止めることはなく、声のトーンはどんどん大きくなり、「おいこりゃ。」とか、「なんでそうなるんや。」とか、「そりゃちゃうぜ。」とか、「今度どついてやれ。」とか、大阪弁丸出しの言葉。携帯との話はどんどんエスカレートしていく。うるさくて周囲の者達が迷惑がっているのに、本人全く気に留める気持ちはない様子。とにかくその声の大きい事。誰もがいつまで続くのかと苛立たし気に目をやっている。誰も注意する者はいない。運転手さんも黙って運転を続けている。停留所を五つほど過ぎたころに、さすがに業を煮やしたのだろう一人の老人が、運転手さんにその男のことを注意するように促す。どうせなら、直接注意すればいいのにとおばあちゃん思ったそうです。
しかし、運転手さんはバスを運転している。どうやって、その男に注意するかと思ったら、信号が赤で停止した時、マイクを取り出してアナウンスし始めた。
「携帯電話でお話中のお客様。他のお客様の迷惑になりますので、大声での携帯電話のご使用はご遠慮願います。」
そうメッセージを流すと、信号も青になりバスを走り出させる。
同時にバスの乗客は一斉にその男を見る。これで携帯での通話を止めるだろうと期待を寄せながら…。しかし、その男は運転手の忠告を完全に無視した状態でぜんぜん話を止める気配はない。依然として大声で携帯と話し続けている。これには乗客も唖然。
「おばあちゃん、あの人、運転手さんに注意されても携帯止めないね。」
孫が、横で呟く。
「そうね、非常識な人だね。皆さん困惑しているのに。」
わたしは、その男に聞こえないように、孫にささやきました。
その時、三〇代ぐらいの男性が、足を床にドーンとやりました。
「運転手さんが注意しているのに、まだ喋っているのか。いい加減にしろ。」
よく言ってくれたなと畏敬の眼で思わず視線をやりました。
けれど、その携帯の男、チラッと横目でその男性に目をやると、また、何事もなかったように携帯に向かっている。さらに大きな声になったような気がした。この人の人間性を疑いたくなるようなずうずうしさだ。
三〇代の男性も諦めて座っていました。それ以上、突っ込むと本当喧嘩になりそうな雰囲気でした。結局、その大柄な男が降りてくれるのを待つしかありませんでした。
その時、思いもかけない事態が起きたのです。
なんと、うちの六歳の、孫が突然立ち上がって、その携帯男のところに歩いて行くではありませんか。はっと気が付いて止めようとしたときはもう遅かったです。
孫はその男の所へ行くと、
「おじさん。バスの中でそんな大きな声で携帯で喋っていると、皆、迷惑しているよ。」
『まずい。』と思いながらも、わたしは揺れるバスのつり革に掴まりながら、後ろから付いて行くしかありません。
「坊や。迷惑か。」
携帯男は最初意外といった表情をしましたが、怒った素振りは見せませんでした。逆に、こんな小さい子が!と仰天したようです。
「迷惑だよ。皆、嫌な顔しているよ。」
「そうかごめんな。電話切るよ。」
驚きです。携帯男は電話を切ったのです。
六歳の子に注意されて恥ずかしかったのかもしれません。次の停留所で降りて行きました。
気が付くと、バスは終着の出戸バスターミナルに到着していました。ただただ、孫に危害がなくて安堵した気分でした。
降り際、運転手さんに注意を促すように進言した老人が、料金を払いながらもう一度運転手に言います。
「あんたがしっかりと注意しないから、あれからもずっと話続けるんだ。あんたどう思っているんだ。」
「いや、もう止めると思っていたのです。」
そんな返事が返ってくる。運転手さんはバスの運転をしている。アナウンスで諭すのが限度だったかもしれない。
わたしと孫が降りようとした時、年配のご婦人が孫の頭を撫でてくれました。
「坊や勇気あったね。大人でも言えない事をバシッといったんだから。」
「皆が迷惑しているの我慢ならなかったんだ。」
その言葉にご婦人はニッコリと笑みを返すと、嬉しそうにバスを降りて行きました。

その日の施術中にその話を聞いて、動かしている手技が止まってしまう。瞬間、身体が硬直する。ちょっと、衝撃的なお話。
「お孫さんすごいですね。」
「でしょう。わたしもびっくりです。」
「お母さんとお父さんには話しましたか。」
「もちろん。婿なんか『俺の血を引いているからこの子は正義感が強いんだ』。と自慢していました。」
「お孫さん、将来、すごい事をしそうな気がします。」
「すごい事って!良い事?」
「良い事に決まっているではないですか。大物になりますよ。
ところで、お孫さんの名前なんて言うのですか。」
「毅 (タケル) 、と言います。この子のお父さんが、意思が強くしっかりとした人間に育って欲しいと、剛毅果断という四字熟語から、毅という文字を取ってタケルと名付けました。」
「だから、毅然とした態度が取れたんだ。きっと、お嬢さんの旦那さんも本人が仰る通り正義感の強い人なのでしょう。」
「そうですか。」おばあさんは思わず苦笑い。
施術の方はその後、順調に進む。最初なかなか取れなかった痛みもその日から嘘のように回復。
その後、二回施術をして発表会を迎える事になる。
「お陰様で発表会で演奏出来そうです。孫の前で思い切り演奏しますよ。」
「今度は毅君におばあちゃんとしていいかっこう見せてください。」
「頑張るわよ。」
右前腕に痛みが出て木琴が叩けなくなったと落ち込んでいたのが嘘のよう。元気に帰って行かれました。
発表会の後、再び来院。
「発表会大成功。しっかりと演奏出来ましたよ。『おばあちゃんかっこ良かった。』って孫も喜んでくれました。
でも、緊張したので、少し腕に痛みが出て来た。念のためにと思って…。」
たぶん人前での演奏で相当のプレッシャーがあったのだと思う。筋肉も張りつめて固くなってしまった。すでに、完治していたのでその緊張感をほぐしてやれば大丈夫。
「毅君。元気?」
「元気よ。わたしの宝。木琴はわたしの生きがいになった。その生きがいを、先生と無痛ゆらし療法のお陰で失わずに済んだ。ありがとうございました。」
お孫さんの武勇伝、今ならテレビの人気番組すかっとジャパンに取り上げられそうな題材。でも、当時はまだ、すかっとジャパンという番組はありませんでした。
そのおばあさんとの秘密の語り草。そのおばあさん一年後に片頭痛で来院される。片頭痛はその日の施術で治癒。
「孫は弁も立つのでクラスで学級委員をやっている。成績もクラスでトップ。」と自慢気に語る。
「将来は弁護士さん。困っている人や弱い人達の味方になって助けてあげるでしょう。」
「そうなって、社会で役に立つ人間として成長して欲しい。」
暑い日でした。体から汗が吹き出しそう。でも、心の中はさわやかな風が流れていました。

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