長居療法院なごみ

お伽噺の魔法使い (急性腰痛 (ギックリ腰) )

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心に残った患者様との思い出

お伽噺の魔法使い (急性腰痛 (ギックリ腰) )

三月のある日、一人の高齢なご婦人がくりはら鍼灸整骨院に来院されました。初春だというのに、まだ、寒さが残っていましたが、風がなく穏やかな日でした。雨上がりで道が濡れていました。カラスが診療所の玄関の前で遊んでおりましたが、ご婦人の姿に驚いて、黒い姿をキラリと日の光に反射させて飛んで行きました。
「ここでは無痛ゆらし療法とかいう施術をしているのかい。」
受付でのご婦人の一言。
ピンクのブラウスに真っ白なスカート、真っ赤な帽子をかぶり、上から茶色のショールを羽織っていました。
「やってます。無痛ゆらし療法での施術がご希望ですか。」
「腰が痛くてな。歩くのがしんどい。娘が無痛ゆらし療法が良いと言うので来たのだよ。」
娘さんの友達が東京に在住しており、その息子さんがサッカーをしていてオスグッドになったらしい。ネットで調べて、恵比寿の本部で施術してもらったとの事。その時、あれほど痛かった痛みがたった二回の施術で完治したので、家族で無痛ゆらし療法は凄いと評判になったそう。その娘さんの紹介で無痛ゆらし療法を知った。調べたら家の近くに無痛ゆらし療法の診療所があったのでやって来た。
「施術料はいくらだい。」
「初診、八千円で、二回目から六千円です。」
「いくらでも良いよ。この痛みを本当に取ってくれるなら、一千万円出しても惜しくない。」と冗談まがいの挨拶を言う。
もしかして年齢から考えて圧迫骨折の可能性もあるので、病院でレントゲンを撮ってもらう事を勧めると、すでに撮影してもらっていると言う。
「圧迫骨折はしていなかった。他の整骨院でマッサージをしてもらっていたら腰に痛みを覚えるようになった。」
その整骨院には二日置きに通院していた。揉んでもらっている時は気持ちが良いが、その翌日はかえってひどくなる。それでまた揉んでもらう。また、すると痛みが出る。その繰り返し。強く揉んでもらって症状がかえってひどくなるのは良くある実例。特に、八〇代の女性には、実際、強い刺激は身体にあまり良くない。
「無痛ゆらし療法は弱刺激です。もし、この療法を受けるのなら、整骨院で揉んでもらうのは止めて欲しい。」
そう申し上げると、
「わたしも揉んでもらうのは止めるよ。もう懲りた。今は痛くて立ち上がるのもしんどい。」
その了承を得たので、無痛ゆらし療法の施術をする事になりました。
施術後の感想。
「驚いた。全く撫でているだけ。こんなに、緩やかな刺激だとは思わなかった。」それから、立ち上がって身体を動かす。
「腰の痛み何となく取れたような気がする。実費だから整骨院のようには来れないけど、週一回の間隔で通院して来る。」
そう言って、その日は帰って行きました。
そのご婦人が診療所を出た後、スタッフが一言。
「あのお婆さん、お伽噺に出て来る魔女みたいだね。ほうきに乗って現れたら、本当に魔女だ。」
年に似合わず茶色にカラーした髪の毛。まっすぐに肩まで伸びている。服飾が派手で、多少、腰が曲がっていたが、何といっても背が高い。一六〇センチは優に超えている。八〇代のお婆さんには見えなかった。
お伽噺の魔女。まさに、スタッフの表現がピッタリでした。

一週間後に再び来院。前回と同じ、茶色の髪に、ピンクのブラウスに真っ白なスカート、茶色のショールを羽織り、真っ赤な帽子。似合っている似合っていないはともかく、とにかく目立つ。
「楽になった。やってもらった直後はそんなに感じなかったけれど、翌日が楽だった。すっと起きられたよ。」
そう言いながら一枚のタオルを渡してくれる。
青いタオルで、真ん中に人の名前が書かれ、その上に、祝、春の選抜大会出場と刺繍されている。両サイドに高校名が書かれている。
「これは?」思わず聞き返す。
「わたしの孫が今度の選抜に出場する。生まれは関西だけれど、他県の高校に野球留学している。今年出場するので、その記念に作った。」
「真ん中に書かれている名前がお孫さんの名前?」
「そう。娘の嫁入り先の名前なので、わたしの苗字とは違うけれど。」
「すごい。甲子園球児なのだ。」思わず驚きの声。
「甲子園はもうすぐ始まる。応援に行きたい。だから、腰を治して欲しい。今の状態では、甲子園に行くのも大変だし、スタンドで座っているのもしんどい。」
孫が甲子園に出る。それは何としても、試合の日までに治してあげねばならない。
それから、二日に一回の間隔で通院してくれました。実際、一回の施術料は六千円なので、普通の人なら懐具合がしんどい。でも、お婆さんは、お金は持っているのか、それほど苦にしているようではなかった。
一年前までは、ご主人とクリーニング屋さんを経営していた。ご主人が亡くなったので、店をたたんで一人マンション暮らし。ご主人は仕事一筋の人だったので、元気な時は朝から晩まで働き詰めだったとの事。ご主人の他界と共に、クリーニング店を廃業。今は一人でのんびりと暮している。働くだけ働いた。これからは余生を楽しみたいと語る。ご主人と共に蓄えたお金があるので、老後の生活には困らないと胸を張る。主人は働くだけ働いて死んでしまったので、可哀想な気がする。その分、わたしがお金を使うと笑っていました。
腰の方は順調に回復。たぶん、クリーニング店を営んでいる時の腰への負担が大きかったのでしょう。仕事をしている時は気持ちが張っているので、何とか持ったのでしょうが、緊張感が解けて、疲労がストレスとなり今激痛となって出てきた。
「主人と一緒に働いていた時は、それは大変だった。毎日、中腰での作業が多く、走り回って洗濯していた。夏の暑い日は、クーラーがあっても、洗濯機の熱気でほとんど効かない。汗びっしょりだった。
中腰でしょう。それで腰が曲がってしまった。昔はモデルさんのようにすらっとしていたのよ。」
確かに、若い頃は背筋が伸びて体型が整った八頭身美人だったに違いない。それにしても八〇歳まで働いていたとは…。
「良い時に仕事を止められた。これ以上続けていたら、奥さんも倒れていましたよ。」
「わたしと主人は同じ年。古希を迎えた時、子供たちに祝ってもらって、子供たちからももう止めてのんびりしたらと言われていたのですよ。わたしももうこの辺で終わりにしようと言っていたのです。それが八〇歳まで頑張ると言って、結局、その八〇歳手前で、突然、倒れて亡くなってしまった。」と涙ぐむ。
「今は孫の甲子園での活躍を見る事と、美味しい物を食べ歩く事が楽しみ。応援に行けるかしら。」
「検査の結果、ひどいヘルニアでもすべり症でもない。圧迫骨折でもない。大丈夫完治して、甲子園には行けますよ。」
お婆さんその言葉に安心したように頷いてくれました。

腰の痛みは順調に回復。それと同時に春の選抜高校野球も開幕。その日は、たまたま、日曜日だったので、開会式はテレビで観戦。いよいよお孫さんの高校の入場。お孫さんキャプテンなので、校旗を抱えて入場。背が高い。お婆さんの話では、身長が一八五センチあるという。行進の姿が雄々しく逞しい。チームでは四番で主砲、ポジションはレフト。
一回戦の試合は診療があったので見られなかった。結果は残念なことに、初戦敗退。
その試合の二日後にお婆さん来院。
「腰、すっかり良くなっている。お陰さまでしっかりと甲子園で観戦出来たよ。」
「試合残念でしたねえ。」こちらとしては腰の痛みより試合結果の方が気になる。
「そんなもんだよ。残念だったけれどね。孫が甲子園でハツラツとしたプレーを見せてくれただけで嬉しいよ。
孫が甲子園球児だというだけで感激する。あそこでプレーしているのがわたしの孫だってね。」
お婆さんは試合の事に関してはそれ以上語らなかった。負けた事がやはり悔しかったに違いない。
「それより、先生には感謝。無痛ゆらし療法に感謝。あの時は動くのがやっとだった。甲子園に応援に行く事が出来たのも、本当に先生のお陰。
孫のRが昨日、うちのマンションに遊びに来た。皆、寮生活だけれど、試合後、二日間は自由行動。特に、孫は大阪出身だから里帰り。わたしの家にも寄ってくれて楽しかった。
孫が好きだったサンドイッチを作ってやった。美味しいと言って食べてくれた。嬉しかったね。でもね、嬉しさのあまり作り過ぎてしまった。
先生やスタッフの人におすそ分けするから食べて頂戴。」
施術後、お婆さんは手作りのサンドイッチを置いて帰って行きました。
治療院を出た後、やや腰は曲がっているけれど、さっそうと自転車に乗って走って行くお婆さんの姿を目で追って一安心。もう腰の痛みはありません。
スタッフがまた、同じセリフを繰り返す。
「あのお婆さん、ほんとに、お伽噺の魔女そっくりだ。」
ちょうど、昼時、サンドイッチをスタッフと一緒に美味しく頂く。孫への愛情と孫からもらう幸せを噛みしめながら、小さな喜びがブレンドされて本当にうまかった。

それから、四ヶ月。夏の到来。いよいよ、高校野球は夏の大会を迎える季節となる。あのお婆さん、腰の痛みが取れて姿を見せていないけれど、あれからどうしているのか。同時に、お孫さんの高校、再び、甲子園に出て来るのか。
新聞でその県の予選をチェックする。心配ない、圧倒的強さで予選を勝ち抜いている。
そんな折、一本の電話。聞き覚えのある声、あのお婆さんのトーンだ。
「うちの孫。また、甲子園に戻って来るよ。」まず、一言。
「おめでとう。県大会勝ったね。新聞で見たよ。」高校野球の話から始まる。
「また、応援に行かなくては…。それより、また、腰の具合が良くない。診てくれる。」
「何か無理した。」
「あれから調子が良かったので、自転車で遠出し過ぎた。」
「もう、八〇歳を超えているのだから、あまり無理しては駄目ですよ。特に、自転車はコケないように。」
八月になり、猛暑が続いている。
お婆さんは、暑い暑いと言いながら久しぶりの来院。後ろに背の高い女性が立っている。
「うちの娘です。」と紹介してくれる。
「ずいぶんと背が高いですね。」思わず出てしまう言い回し。モデルさんのようにスラッとしている。
「一七三センチあります。」娘さん腰を少し丸めながら答えてくれる。
「孫は一八五センチある。わたしの旦那はわたしたちの世代では高い方の一七五センチあった。」
「うちの家系は皆、背が高いのです。母だって、今は腰が曲がってちょっと縮こまってしまっているけれど、一六五センチあった。」
娘さんの言葉に納得する。お婆さんの若かりし頃の均整の取れたスタイルが想像できる。
「先日は母の腰を診てもらいましてありがとうございます。お陰さまで腰の方だいぶ良いようです。」娘さんもお礼を言ってくれる。
「夏も出場が決まった。また、張り切って甲子園へ応援に行くつもり。心配だから診てもらおうと思って。」
「また、お孫さんに元気をもらえるね。」
そう言って施術の再開。
その日もピンクのブラウスに、真っ白なスラックス。いつ見ても、八〇歳の年代には見えない装い。
「この洋服、ご自身で買いに行かれるのですか。」思わず聞いてしまう。
「いや、若い頃着ていた服。箪笥にしまっていてももったいないので引っ張り出して今着ている。若い頃は派手だった。でもね、洗濯屋の仕事をしている時は、こういう服はいつもは着れなかった。だから、仕事を止めたので奔放に着れる。時代遅れかしら。」少し照れ臭そう。
確かに、若い時分はとても派手な女性だったに違いない。
「そんな事ありません。とてもお似合いです。気持ちはいつまでも若くもたなくては。」
似合っているとは名状しがたい。だって、スタッフがお伽噺の魔女と呼んでいるのですから。でも、個性豊か、本当に派手なお婆さんです。
腰の方は、前回の施術で回復していたので、今回は一回で終了。
「孫のプレー楽しみ。優勝するまで応援に行くよ。」と笑顔で帰って行きました。

その年のお孫さんの高校、一回戦は勝ち上がる。お孫さんのR君、見事、四番バッターとして二塁打を打って勝利に貢献。二回戦は、試合の方は投手陣が崩れ三対九で負けてしまいましたが、R君、左中間スタンド中段に大きなホームランを打つ。R君は左打者なので、見事な流し打ち。たまたま、日曜日だったのでテレビで観戦していたが、あんな特大のホームランは阪神の往年の左の大打者、バース、掛布以外見た事がない。ホームランが出た瞬間、「やったー!」と賛辞の雄たけび。お婆さんの喜んでいる姿が目に浮かぶ。きっと甲子園のスタンドで飛び跳ねているに違いない。もしかして、この子、プロ野球に行くのではないかとそんな予感すら閃いた。
お婆さんに会って甲子園の話をしたかったが、残念な事に、腰に痛みがなかったのだろう、その後、しばらく来院することはなかった。
夏の甲子園も閉幕して、暑かった夏の日差しも秋の穏やかな気候に移り変わって行く。プロ野球も日本シリーズは福岡ソフトバンクが日本一となる。
いよいよプロ野球のドラフト会議。R君が指名されるかどうしても気になる。甲子園でのあの本塁打を目の当りにしたら、野球好きのファンとして指名されてもおかしくないと思ったからだ。
整骨院での施術が終わって、家でテレビのスポーツニュースを見る。すると、R君、楽天ゴールデンイーグルスから四番目で指名されているではないか。
「やっぱりね。すごい。」腕組をしながら、頷き感嘆する。
お婆さんに会いたくなる。会って、お孫さんがプロ野球選手になれる事を祝福してやりたかった。
しかし、その二日後に、虫の知らせのごとくお婆さん来院。手にはドラフト当日のスポーツ新聞を持っている。
「先生、見て下さい。孫、楽天から指名された。すごいでしょう。」
腰の痛みより、孫のR君の話をしに来たみたい。
「腰の痛みの方は。」
「ちょっと心配だから診て頂戴。」そんな調子。ほとんど問題はない様子。
「甲子園のホームランを星野監督に認められて指名された。」本当に自慢気で嬉しそう。
孫がプロ野球選手か。他人事ではなく、その自慢話を聞く者も、そのお婆さんの家族の一員になった気分になる。
施術後、軽く身体を伸ばしながら、
「わたしの腰は無痛ゆらし療法とくりはら先生がおれば大丈夫。」どこも痛みはない。
「でもね、孫がプロへ入った所で、一軍で活躍できるかどうか分からない。これからが心配。腰は安心なので、一軍デビューしたら仙台まで応援に行くよ。」
そう言って帰って行きました。
それから、一ヶ月ほどお婆さんは姿を見せず。腰が完治したのだから、別に来院する必要もない。
無事に契約を済ませたのかなとスタッフと語り合っていると、思い出したようにやって来る。
「無事に楽天と契約を済ませたよ。」と報告してくれる。契約にはお婆さんも立ち会ったそうだ。
何でも、二人の紳士が車でやって来て、大きな鞄を抱えていた。その中に、現金で四千万円入っていた。契約金は銀行振り込みではなく、あくまでもキャッシュ。それがプロ野球の新人契約の決まり。『あなた買います。』まさにそんな感じ。
初めて見る四千万円の現金に、お婆さん目を白黒。
「通帳の数字ならともかく、福沢諭吉さんを四千人見れるなんて壮観だったね。」感嘆しきり。
「契約書にサインすると、すぐに手配していた銀行の人が持って行ったよ。家に置いていたら危ないからね。」
「そのお金、R君、何に使うのですか。」一番気になる事。
「四千万と言っても、その内、一七百万円ぐらいは税金、高校、小学校時お世話になったリトルリーグへの寄付金で消えてしまう。二千万円は、あの子の母親が強制貯金。プロ野球から引退した時のためにね。退職金を先にもらったようなもの。残り金額を家族でおすそわけ。わたしも孫からお小遣いもらったよ。」
施術中、いろいろとうちわの面白い話を聞かせてくれる。
「孫から小遣いもらったから、治療費はたんまり。『くりはら先生に無痛ゆらし療法で、しっかり腰を治してもらってね。』って。」
R君、中々、粋な事を言ってくれる。ますます、彼が好きになり応援したくなる。楽天での活躍出来る事を祈りたくなった。
その後、三回来院してくれる。
「この腰の曲がったのは戻らないかね。」とポツリ。
「それは無理。痛みが治まったからそれで良しとしないと。」
「確かに、あの時の痛みが嘘のよう。先生のお陰です。」
晴れ晴れとした気持ちがすがすがしい。
「楽天が大阪で試合する時はもちろん。仙台にも行くよ。まだまだ若いんだから。」
そう、お婆さんは魔法使い。その日のファッションも、若かりし頃の思い出。随分と派手な装い。自分で自分に若返りの魔法を掛けたのでした。

時の流れは早く、あれから、三年。腰の痛みが再発していないのだろう。お伽噺の魔法使いは現れませんでした。
また、くりはら鍼灸整骨院を閉院して、無痛ゆらし療法専門の天王寺やすらぎ療法院を開院した時期でしたのでお婆さんの事は忘れかけておりました。
でも、プロ野球選手になったR君の事は気になる。スポーツ新聞を目にしては、楽天ゴールドイーグルスの記事を追いかけていました。一年目は全く新聞には出て来ない。二軍で鍛えられているのだろうと推測しながら、また、大阪の地なので、東北の楽天の話題など乏しく、R君の事は全く皆無に等しかった。そのシーズンの途中で、星野監督が体調を崩して休養する。代行は大久保さんでした。結局、星野さん復帰は無理で、その翌年から大久保さんがそのまま監督に就任する。
R君入団してもう四年目を迎える。新聞の楽天の記事が気になる。すると大久保監督の目にかなったのか、R君一軍登録されている。そして、シーズンの後半あたりから七番レフトR君でスターティングメンバーに名を連ねるようになった。
『あっ!R君が出ている。』思わず生唾を飲み込む。やっぱり出て来たんだ。一軍での通算打率も二割七分ぐらい。結構、打っている。お婆さんに会えたら、「やったね。」と声を掛けてやりたかった。きっと新聞片手に得意気に自慢するだろうと、その誇らしげな顔を見たかった。
それから、毎試合、楽天のレギュラーとして出場していた。そして、その年のシーズンは閉幕。入団して四年目の後半に出て来た。プロで芽を出す選手は、もう出て来なければならない。きっと来シーズンは最初からレギュラーとして顔を出して活躍しているだろう。そんな期待を膨らませながら…。

その時のオフに大久保監督が解任される。後任は現監督の梨田さん。監督が交代した事は何か嫌な兆候が走る。R君は大久保さんが監督だから、その才能が認められた。果たして、梨田さんが使ってくれるだろうか。
年が明けて、また、新しいシーズンが開幕する。R君は?ずっと楽天の試合を新聞で追いかける。その年の楽天の常時の先発メンバーは、外野はレフト、フェルナンデス、センター、オコエ、ライト、ペゲーロ、三塁がウィラー、指名打者がアマダー。横文字ばかりが並んでいる。これ日本のプロ野球チーム!
結局、R君、その年、最後までスタメンに名前が出てきませんでした。というより、ずっと二軍暮らし。昨年の後半から、一軍の試合に出て活躍していたのに…。残念!
でも、今年は二軍で調整して、翌年に期待。そう思って、楽天R君をウェブで検索すると、なんと、二次自由契約選手にR君の名前が列記されている。えっ!クビなの。目が丸くなる。もう一度確認するが、確かに、彼の名前が載っている。戦力外なのか、彼の意志で退団するのかパソコンの画面上では分からない。でも、楽天を去って行くのは確かなようだ。
その年のトライアウトをウェブで検索。ファンとしてどこまでも追いかけて行きたい。もちろん出場していた。五一人が参加。でも、合格者の中に、彼の名前はなかった。これで完全にプロ野球人としての生活に終止符を打った事になる。
お伽噺の物語から出て来たような魔法使いのお婆さんが、腰が痛いと言って、くりはら鍼灸整骨院を訪れて以来ずっとお孫さんのR君を応援していた。もちろん、R君には一度も会った事がない。お婆さんの口から聞くだけだ。そのお婆さんも、最近は姿を見せていない。腰は大丈夫なのかな。その時、無性にお婆さんに会いたくなった。
ところが、再び虫の知らせか。その一週間後にお婆さんから電話がある。
「くりはら先生ですか。良かった。捜したよ。なんで天王寺へ行ってしまったんだい。」
「移転の葉書出しましたけれど。」
「そうかい。年を取ると、そんなの気に掛けないから。」
どうやら天王寺療法院やすらぎを捜していたらしい。
「腰、また施術してもらいたい。明日、予約取れるかい。」
「空いていますよ。」
「また、先生に施術してもらえるね。」
「それより、お孫さん楽天退団したね。」
「そうなのよ。残念だけどしょうがない。明日、また話すよ。」
お孫さんの話になった時、少し、寂しそうになりました。
翌日、来院。一時、腰の痛みが再発して大変だったと言う。わたしを捜したがどこへ行ったか分からず困った様子。わたしが譲った整骨院でここの電話番号を教えてもらったそうだ。
今日の服装も以前とほとんど一緒。茶髪、ピンク色のショール、白のブラウス、グレーのロングスカート、というよりいつも同じようなファッション。色が少し変わっただけ。好みのセンスは一緒なのだろう。
「何、そんなに痛い訳ではない。でも、心配だからね。どこか悪くなったら先生に診てもらえるから安心している。だから、行方不明になったら困るのよ。」
「それはごめんなさい。でも葉書は書きましたよ。」
「そうだったね。気が付かなかった。」
施術の開始。腰の痛みはすぐに取れてしまった。
「孫は今の監督と合わなかった。」ポツリと口を開く。
「梨田さん?」
「そう、目先の勝利のために、外国人選手ばかり使っている。我慢して日本の選手を育てないんだ。」
「前の大久保さんの時は一軍の試合に出ていた。いよいよ頭角を現して来たと期待を持たせてくれたのに…。」
「前の監督の時にはね。仙台まで応援に行ったよ。レギュラー確保したって。家族で喜んだ。」
「残念でしたね。」
「やっぱり厳しい世界だ。」
「お婆さんの魔法でもR君、駄目でしたか。」
「今回は魔法通じなかった。」
それから孫の五年間のプロ野球での生活をかいつまんで語ってくれた。ただ、寂しいのか、あまり積極的には話そうとはしなかった。今は野球から離れて、別の仕事をしていると言う。
去って行かねばならない虚しい気持ちを察して、お婆さんの心の中から出て来る孫への思いを静かに胸の中へとしまう。それ以上の詮索はしなかった。
「また、痛みが再発したらお願い。」
施術後、二階にある診療院から一階までエレベーターで一緒に降りる。
お婆さんは、ビルの前に停めてあった自転車に乗る。
「えっ!腰が痛いのに、住之江から天王寺まで自転車で来た?」
「大丈夫!先生に診てもらえるのだから。」
腰はそんなに痛くなかったのだろう。でも、もう八〇代半ばを超えているはず。元気なお婆さんだ。
魔法使いのお婆さん、自転車のペダルを漕いで、国道四三号線を住之江に向かって帰って行く。自転車がまるでほうき。後ろ姿がほうきにまたがった魔女のように見えました。
腰が痛くて這い蹲るようにして診療所にやって来た日が蘇る。孫がプロ野球選手として大成するという、お婆さんと孫の夢は潰えたけれど、腰の痛みは完全に治った。新しい人生が始まり、お婆さんの魔法は、また、次の楽しい物語を作ってくれる。
お伽噺の魔法使いはその後、天王寺やすらぎには姿を見せていない。
翌年の年賀状に、
「腰は全く痛みがなくなった。けれど、年を重ねたせいか何をするのにもしんどくなって来ている。でもね、大丈夫。わたしは魔法が使えるから、魔法で二〇歳若返る。まだ、六〇代よ。」
その年のお正月は、寒さがあまり感じられない、穏やかで暖かな日差しの三日間でした。

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