長居療法院なごみ

ゴルフ肘

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最後のドライブ(ゴルフ肘)

最後のドライブ(ゴルフ肘)

82歳を迎えたゴルフ肘の患者さんです。趣味がゴルフ、さすがに80歳を超えている、スコアは90前後まで落ちたそうですが、若い頃はローシングル、20代の頃は本気でプロゴルファーを目指した時もあったとのこと。
 その年になっても、週3回はグリーンに出ている。ゴルフは俺の人生だよと述懐します。
 廃業しましたが、若い頃は鐵骨屋さんを経営していました。今では、街の中に鉄骨屋さんなど見られませんが、昭和30年代当時はあちこちに鉄骨屋さんがありました。当時は、建屋の骨幹は鉄鋼の全盛時代。鉄骨屋で随分と儲けたと自負します。でも、昭和50年代に入り、建築材料が鉄鋼からアルミや他の資材に取られて個人経営の鉄骨屋さんは経営が成り立たなくなって行ったそうです。
 その82歳のゴルフ肘の患者さんは語ります。
 「俺は良い時に鉄工所を経営していた。俺が年を取って働けなくなったら、鉄鋼産業が下火になったからな。
 お陰で財産も出来た。この家も鉄骨で儲けた金で建てた。仕事の合間はゴルフ三昧だったよ。」
 大阪市内に一戸建ての自宅を構えています。
 おじいさんは昭和一桁生まれ。その世代の人と比較すると、相当背が高く、175センチあります。若い頃は、周囲の人から、フランケンシュタインと言われたそうです。体格も良く、本当、元プロゴルファーだったと偽ったとしても納得が行きます。
 しかし、加齢とゴルフのやり過ぎで、左ひじを痛めます。痛くてゴルフが出来ないので、無痛ゆらし療法で治療して欲しいとのことで往診しました。
 仕事を辞めてからは、おじいさんの日課は愛車のベンツでさっそうとゴルフ場に向かうこと。ゴルフも喜びの一つですが、ベンツでドライブするのも楽しみの一つなのです。
 そんな折、プレーの後、ゴルフ場の帰り道、カーブを曲がろうとした時、前方から車が中央線からはみ出して来たので、慌てて避けようとしてハンドルを切り損ねてカードレールに追突してしまいました。ガードレールを壊して、ベンツも破損してしまいました。幸いにあまりスピードを出していなかったので、シートベルトが守ってくれて、運転するおじいさんには怪我がありませんでした。
 しかし、この事故で家族の者は心配します。高齢運転、もう二度と車に乗るなと意見されます。現実に、この事故の以前にも、バックで車庫入れの時、柱にぶっけたり、アクセルとブレーキを押し間違えて、低スピードでありながらも壁に衝突したことが何度もあったのです。
 だから、今回の事故で家族はおじいさんの運転にとても心配したのです。
 でも、本人はどこ吹く風。「俺は運動神経が良い。若い奴らより運転技術は上だよ。」と豪語して気にも留めません。
 そんなある日、おじいさんは体調が悪いと寝込んでしまいました。夏が38度6分ありあした。コロナが流行しています。家族の者はコロナではないかと心配します。すぐに、救急車を呼びます。病院に運ばれてPCR検査をするとやはりコロナ陽性でした。入院手続きをして、コロナ病棟で治療します。82歳の高齢、年齢が年齢だけに、心配はさらに高揚します。しかし、心配をよそに、3日もすると熱は下がり、健康を取り戻して、「さあ、また、ゴルフに行くぞと!」と隔離病棟から元気に自宅に戻って来ました。
 ところが、家に帰って来て、おじいさんびっくり仰天。愛車のベンツがガレージにない。一体どこへ行ったのだと、妻に食って掛かります。
 妻が答えます。
 「息子の孝夫が乗って帰った。
 もう、おやじの運転は危ない。俺が貰い受けると言っていた。」
 妻の返答はあっけらかんでした。
 「何?おれがコロナで死ぬと思ったのか。」
 「まさか、運転が危険だから。今回の事故でわかったでしょう。
 これを機会に運転を止めてもらおうと考えたのよ。私も賛成した。あなたが一時預かって置きなさいってね。」
 「俺のベンツだぞ。何で孝夫に持って行かれるんだ。」
 「いいじゃないですか。息子ですよ。」
 「車が無ければゴルフに行けない。」
 「ゴルフ場には孝夫が送り迎えするそうよ。どうせ、月に1回か2回でしょう。」
 「いや、もっと行くつもりだ。」
 「最近は肘が痛いと言って、以前のようにあまり行っていない。」
 「先日、クリハラ先生に無痛ゆらし療法で施術してえもらって痛みは治癒している。あの激痛のように痛かったのが嘘のように取れている。ゴルフに支障はない。週1回は行きたくなっている。」
 「肘の痛みは回復しても、身体が付いて行けなくなっている。第一、あなたのゴルフ仲間、皆さん、運転を卒業していますよ。
 息子たちに送迎してもらえるのは幸せです。」
 確かに、おじいさんのゴルフ友達は、80歳半ばを過ぎてご高齢。ほとんど、自宅で寝込んでいる。とても自ら運転してゴルフ場まで行く体力はない。ゴルフどころではなくなっている。そう言う意味ではこのおじいさん、この年齢で、月にⅠ、2回グリーンに出れるのは元気の証拠である。今は3人の息子たちがプレーの同伴者となっている。息子たちの嫁たちもクラブを握るので、時々、家族の団欒も兼ねて家族コンペも実施している。
 妻や息子たちが心配するのは、ゴルフ場までの往復の運転なのだ。親父はいつも自分で車を運転してゴルフ場へ行く。ゴルフ場だけではなく、近くのスーパーへの買い物にも妻を乗せて運転して行く。孫を乗せてハンドルを握るのも楽しいとしていて、ベンツの乗るおじいちゃんは凄いぞと自慢気だった。でも、乗せられる孫たちからは、おじいちゃんの運転は怖いと悪評も立っていたのです。
 コロナになった機会に、車を取り上げてしまおうと家族会議で決定する。孝夫は3人兄弟の次男坊。彼だけが乗用車を持っていなかったので、彼がもらい受けることになった。
 おじいさんは俺がコロナで苦しんでいると気に、家族でそんな陰謀が策略されていたと思と腹が立ちましたが、決まってしまったものは仕方がない。それに孫たちが怖がって乗りたがらないのなら、運転していても喜びが喪失してしまう。自分も年なのかなとしんみりとしてしまいます。
 最近、高齢者の運転の危険性が問題になっている。あちこちで事故が起きている。妻や子供たちはそれを指摘している。そろそろ、運転を卒業する潮時かなと観念しました。
 クラブハウスへは息子たちの車に同乗させてもらええば良い。ゴルフが出来なくなった訳ではない。それより事故を起したら自分だけの責任ではない。被害者の方にも謝罪して許してもらえるものではない。大悲劇だ。
 おじいさんは、最初は、俺からベンツを強奪しやがってと立腹しましたが、家族の者たちの助言が正当であると納得したのです。
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 そんなある日、長男の薫から、家族全員で遊園地に行こうと申し出がありました。おじいさん、子供たちとの家族関係とても仲が良かった。三人の息子たちは、皆独立して家族
を持っている。年に1回か2回、それぞれの一家が皆集まって、ドライブ旅行に出掛ける。
その理由は子供たち3人も、お父さんのDNAを引き継いで、車が大好き。3兄弟はお父さんのようにベンツのような高級外車には乗っていませんでしたが、次男を除けば、国産の高級車を乗り回していました。その次男もお父さんからベンツを譲り受けて、颯爽と運転しています。
 皆で遊園地に行こうとなりました。その遊園地は郊外の山の上にあり、ドライブも兼ねて最高のテーマパークでした。孫たちも喜ぶ。遊園地で孫たちと乗り物に乗る。特に、ジェットコースターに恐怖の叫びを上げながら、ワイワイ言いながら乗るのは本当に楽しい。過去に何度もその遊園地には行ってまっした。
 ただあ、一つ違うのは、今回はおじいさんは運転しない。孫と一緒にの出てもらう。ちょっと寂しい気持もしましたが、これも時の流れと理解しながら、結構、同乗させてもらうのも、窓から違った景色が満喫出来て、孫たちともお喋りが出来る。違った面白みが堪能出来ると実感しました。
 孫たちは遊園地にある子ども用の車に乗ります。まさにミニドライバーの誕生です。最高のドライブをして1週して戻って来ると孫たちは言います。
 「運転、上手かった?」
 「上手だったよ。おじいちゃんより上手だ。」
 そう、おじいさんは答えます。
 「おじいちゃんも運転したい。」
 「それはしたいよ。おじいちゃん運転大好きだからね。
  でも、もう年だ。引退したよ。」
 おじいさんの脳裏には運転したいと言う気持ちは強いのですが家族の手前そう答えるしかありません。
 遊園地で思う存分遊んで、まだ、日が明るいうちに娯楽施設を出ます。
 その時、次男の孝夫はある提案っをしてくれます。
 「お父さん、もう一度、このベンツで最後のドライブをしない。
 危ないから、もう2度と車に乗ってもらっては困ると言っていたのに、びっくり仰天です。
 「おじいちゃんの最後のドライブ!
 僕たちも乗せて。」
 何と孫たちも言ってくれます。
 「いいの、おじいちゃんの運転怖くない?」
 「夕食の予約をしたレストランまでの最期のドライブ。無理やりベンツを取らげられてしまったから心残りだろう。
 山道の国道だし、そんなに心配はない。最後に思い切り運転をしたら。」
 長男がエールを送ってくれました。  
 そのメッセージに妻も、息子たちも、嫁も、6人の孫たちも大賛成。
 じゃんけんで勝った3人の孫と助手席には次男の孝夫が同乗する。おじいちゃんの久しぶりの運転。慣れ親しんで来たベンツの車体はおじさんの踏むアクセル軽く、軽やかに静かに発進しました。他の兄弟と家族は2台の車でその後に従います。
 「おじいちゃん、アクセルとブレーキ踏み間違えないでね。」
 孫がいたずっらぽく注意してくれます。
 「大丈夫だよ。おじいちゃんを見損なうな。」
 おじいちゃんは笑顔満面で答えまた。
 亜希の山道、緑の樹林の中に、所々に紅葉が鮮やかに目に映し出されます。その美しさに思わず気を取られます。
 「遊園地の乗り物も楽しかったけれど、紅葉を見るのも和むね。」
 すると以外な言葉が返って来ます。
 「おじいちゃん、よそ見しては駄目だよ。しっかりと前を向いて運転して。」
   運転をしながら、窓からの爽快な風景を語り合う。それがドライブの醍醐味なのだ。それを脇見運転だと言う。孫たちはそう感じているのか。
 おじいさんは思いました。孫たちを乗せて運転するのはこれが最後かな。
 孫たちは自分の老いを良く見ている。孝夫がベンツを取り上げてしまったのを改めて納得したのです。
 しばらくして、予約していたレストランに着きました。遊園地から10分ぐらい。おじいさんは無事に孫たちの運転手を勤めました。
 レストランには大きなケーキが用意されています。その日、おじいさんの81歳の誕生日、誕生パーティーも兼ねていました。
 「おじいさん、誕生日おめでとう。」
 孫たちに祝福されて、蝋燭の灯をけした時、
 『81歳か。ここまで良く元気に頑張って頑張って来れたものだ。』
 そう自分自身の健康に注意するとともに、もうこれで車の運転から卒業することに、気持ち良く心のわだかまりを整理出来ました。
 そして、最後に、孫たちを乗せてドライブさせてくれた3人の息子たちとその嫁に感謝しました。
 その日の晩餐はおおきなステーキ。少し血が滴っているレアーのお肉を口一杯に方ばあると、活力が身体中に漲ります。コラゲーンがエネルギーを作ります。
 「運転は止めるけれど、ゴルフは止めない。まだまだスコアーは80代キープ。孫
と一緒にグリーンまで出るまで頑張る。
 「おじいいちゃん。その意気だよ。
 僕も一緒におじいちゃんとプレーするんだ。」
 高校生の孫がそう激励してくれました。
 おじいさは好き赤ワインを注文して思いっ切り飲みます。もう、帰りは運転しないのと決めたからです。自称名ドライバーと自負していましたので、名人は引き際も潔い。運転しなくなるのは寂しいけれど、逆に好きな酒が思う存分飲める。今迄は、ゴルフの帰りはアルコールは厳禁でした。これからは息子たちの運転手付きでグリーンに行ける。運転する者には
申し訳ないが、『酒が飲める!酒が飲めるぞ!』だ。
 「親父、酒が飲めていいな。」
 と、もし息子たちが苦言を称したら、こう言い返してやろうとさ作戦を練ります。
 「おまえたちが、私のベンツを取り上げて運転するなと言うからだ。
 楽しみを奪いやがって。だから、俺だけ酒を飲んでも文句は言うな。」
 そんな発想に満足しながら、自分も本当に年を取ったものだと痛感します。
 和気藹々の食事が終わり、家路に向かいます。おじいさん車のキーを次男の孝夫さんに渡します。もう、これでハンドルを握ることはない。大きな決断でした。
    帰りの車中で、ワインの心地良い酔いも手伝って、うとうとと睡魔が襲います。
 夢の中で最後のドライブをさせてくれた息子たち、嫁、孫たちに感謝しました。
 運転は定年退職したけれど、ゴルフはまだ現役。ゴルフクラブを持つ孫たちに、パットの指導をしている自分自身が逞しく躍動していました。
 痛かったゴルフ肘も、クリハラ先生の無痛ゆらし療法で完治。
 その時、そのおじいさんは『最後のドライブ』の話をしてくれました。
 「栗原先生ありがとう。左肘の痛みは完全に取れた。思いっ切りスイングが出来る。80のスコアーはキープしたい。
 先生と無痛ゆらし療法に出会わなければ、ドライブどころかゴルフも最後になるところだった。本当に感謝です。」
 痛みが取れてゴルフに復帰出来て本当に良かった。ドライブは引退。でも、ゴルフは永遠の楽しみ。人生100年です。痛みなのに人生そのものを卒業してはいけません。
 「高校生の孫と一緒にグリーンに出て、その高校生の孫が結婚してひ孫を見るまで元気でプレーを続けて下さい。
 また、肘に痛みが出たら、連絡して下さい。すぐにでも往診に駆けつけます。」
 「力強い味方がいる。もう年だ。でも、肘以外に痛みはない。また、痛みが出たら宜しく頼む。」
 そうエールの交換をいました。
 そのおじいいさんお名前を稲村さんと言います。
 肘の痛みは治癒したので、あれから連絡がありません。
 フェアーウエイやグリーン上で、元気に孫たちにゴルフのレッスンをしいているのが目に浮かびます。

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