東京もんじゃ焼き (ゴルフ肘)
患者さんSさん。40代半ばの男性。ゴルフのやりすぎでゴルフ肘になってしまったとの訴え。週二回はグリーンに出るそうで、右肘を痛めてしまった。痛くてクラブも振れないし、日常生活にも差し支えが出ているので痛みを何とかして欲しいと要望。肘の痛みは三回の施術で完治しました。
その方、もともと、大阪市の放出の生まれ、(ちなみにこの字『放出』何と読むかわかりますか。)転勤族で先日まで、宮城県の仙台に住んでいたそうです。半年ぐらい前に大阪に戻って来たそうです。
「やはり大阪はいいね」と言います。ほっとするようです。
仙台の前は東京に十六年、その前は広島に五年住んでいたそうです。大阪で就職して広島、東京、仙台と渡り歩き、再び、故郷の大阪に戻って来た。
施術をしている時、その患者さんが面白い話をしてくれました。
嫁さんは広島の出身。広島勤務時代に知り合ったそうで、同じ会社の広島支店に勤務しており社内恋愛。子供は一人娘、広島時代に生まれたとの事。
奥さんとはうまくいっているが、どうしても話が合わない時があるそうです。それはお好み焼きを食べる時、Sさんは大阪生まれなので大阪お好み焼きが一番だと思っている。逆に、奥さんは広島出身なのでお好み焼きは絶対に広島焼きとなる。Sさん大阪お好み焼きは俺の幼少の頃からの思い出で、おいしいお好み焼きは大阪に決まっとると言いきります。奥さんは奥さんで、わたしは広島育ち、お好み焼きは広島じゃ。と主張します。
ところで、同じお好み焼きなのに、大阪と広島ではどう違うのか。食べてみるとわかるのですが、味はほとんど変わりません。ソースの味が大阪の方が濃い口、広島の方が薄いぐらいです。両方とも美味しいです。
一番違うのは焼き方。大阪お好み焼きは溶かした小麦粉の中に具をすべて入れて、かき混ぜて一遍に鉄板の上に引いて焼きます。広島は重ね焼きです。小麦粉をクレープ上に鉄板の上に引いて、その上に具を順番に重ねていきます。具をすべてのせたら、その上にまた、小麦粉を掛けて焼いていきます。要するに、大阪式とは異なり、焼く前に小麦粉と具を一緒にしないそれが一番の違い。
奥さんは、大阪式は小麦粉の中に具を予めすべて入れてしまうので、ごった煮のようで具(野菜やお肉等)のもつ本来の味が損なわれると嫌がる。Sさんはそこが各具のダシが入り混じって、大阪焼きのおいしいところだと言い張る。ただ、知り合った街が広島でしたので、広島お好み焼きの店ばかり。Sさんは小さくなってたようです。でも、Sさんお好み焼きが大好き、出張の本社のある大阪に帰った時にたらふく大阪お好み焼きを食べていたと話してくれました。
結局、Sさん夫婦、恋愛中も結婚してからもお好み焼きの話はタブー。ご夫婦別々に、自分の故郷のお好み焼きを堪能していたようです。
そんな折、広島から東京に転勤することになる。広島で生まれたばかりの娘と一緒に東京へ移り住む事になります。大都会、東京で十六年間過ごしたとの事。
娘はまだ十七歳で高校三年生。学校を変わる訳には行かず、Sさん仙台に単身赴任。
夏休みに妻と娘が仙台に遊びに来ました。半年ぶりに親子三人で食事をしようとなったそうです。
それで三人で街へ出た。
その時、娘が「わたしお好み焼きを食べたい。」と言ったそうです。
Sさんもお好み焼きを食べたい心境だったそうですが、これはまた、大阪か広島で妻と一騒動ありそうと嫌な予感。
それでもSさん思いきって、自己主張をします。
「お好み焼きなら大阪お好み焼きだ。大阪お好み焼きは俺の子供の頃からの思い出。今回は俺の言い分を聞いて、大阪お好み焼きにしよう。」
すると、やはり奥さんが異議を唱えて来る。
「いや、やっぱり広島焼きよ。」そう言って、目の前にある広島焼きのお好み焼き屋さんを指差す。
「へえ、仙台にも広島風のお好み焼き屋さんがあるんだ。ローカルだと思っていたのに…広島焼きなんて広島だけかと思っていたが…。」Sさんやや軽蔑的な口調。
「そんな事ありません。大阪にも広島焼きの店はたくさんあります。」
そんな時娘が言います。
「わたしに決めさせて。お父さんとお母さんではらちがあかない。」
「そうだ。マヨ(娘の名前)に決めてもらおう。」
娘に甘いSさんすぐに賛成。
「そうだそれが一番公平。マヨの決めたお好み焼き屋さんに入る事にしよう。ママも良いだろう。」
「そうね。それが一番の公平か。」
妻も納得します。
「じゃあ、マヨに任せたよ。」
Sさんと奥さんは娘がどちらのお好み焼き屋さんを選択するか興味津々。
娘は黙って歩き出します。二人は後に付いて行きます。
すぐ前に妻が指差した広島お好み焼きのお店があります。その少し先に大阪お好み焼きの店がありました。
Sさん広島お好み焼きの店に入るか気が気でなかった様子。
しかし、娘さん、この広島焼きの店を素通り。
「それ見ろ。やっぱり大阪お好み焼きだよ。マヨは俺の血を引いているから、大阪お好み焼きに決まっているだろ。大阪お好み焼きが一番だ。」
Sさんこの時してやったりと妻の顔を見たそうです。妻は仕方がないと言った表情。
ところが、娘はなんと大阪お好み焼きの店も通り過ぎます。
これにはSさんまたびっくり。
「おいおいおい。二件とも通り過ぎたぞ。いったいどの店に入るんだ。」
娘は父親の意見には答えず、また少し歩きます。
すると、ある一件の店の前に止まります。
「わたしの思い出のお好み焼き屋はここ。今日はこの店のお好み焼きを食べましょう。」
Sさんお店の看板を見上げます。
東京もんじゃ焼きと書かれてました。
「パパとママの思い出のお好み焼きが大阪と広島なら、わたしの思い出は東京もんじゃ焼きよ。」
そう言って二人を引き連れるようにして店の中に入って行く。
思えば、広島から東京に転勤になり、東京の墨田区に十七年住んでました。その時、娘はまだ一歳。幼少期と思春期を東京で過ごした事になる。墨田区と言えば東京の下町、もんじゃ焼き屋さんがたくさんある。小学校の頃から友達と近くのもんじゃ焼き屋さんに通っておやつ替わりにしていた。だから、娘さんの思い出のお好み焼きはもんじゃ焼きなのです。仙台に来てすぐにこの店を見つけ出したそうです。そうしていつか、両親を誘ってこの店に食べに来ようと決めていたようです。
「パパとママはお好み焼きの話になると、大阪が一番、いや、広島が一番と言って、喧嘩になるから親子でお好み焼きを食べに行った事がない。
だから、これからは三人でお好み焼きを食べる時は東京もんじゃ焼きにしましょう。」
するとSさんすぐに返答。
「生まれて初めてもんじゃ焼きを食べるが、さすが、マヨが推奨するだけあってうまいもんだ。ママ、お好み焼きはこれからは大阪でも広島でもないぞ。もんじゃ焼きだ。三人でこの店に時々食べに来よう。」
これに妻があきれ返った様子。
「あんた、本当に娘に甘いね。あれだけ大阪お好み焼きが一番と言い張っていたくせに、マヨの一言でひっくり返ってしまうんだから。何がもんじゃ焼きよ。わたしは広島焼きがやっぱり一番。」
でも、この親子、娘の意見を尊重して週に一回はもんじゃ焼き屋さんに行くようになり、お店では顔なじみになりました。
その話を店の女将さんに話すと、
「やっぱり父親は娘に甘いよ。」と微笑み返し。
その後、Sさん家族、仙台から大阪に転勤。娘さんも学校を卒業して大阪の会社で働いている。今は実家のある大阪の放出で、Sさんのお母さんと家族四人で暮らしていらっしゃる。
それにしても、娘さんの思い出の粉もんが東京もんじゃ焼きで良かった。これがピザだったとしたら?日本の粉もんがイタリア料理に乗っ取られたようで寂しい気がしてしまいます。
Sさんのゴルフ肘、無痛ゆらし療法で完全に治癒しました。週に二回はグリーンに出ているそうです。無痛ゆらし療法も東京もんじゃ焼きもお見事、娘に甘い父親のお話でした。