2枚のマスク (左膝の痛み)
その患者さん、左膝の痛みを訴えていました。息子さんの友達の紹介でした。その患者さんから、施術中に聞いたお話です。
2月の晴れた日でした。患者さん、野原正志さんは孫に会うために自宅のマンションを出ました。エレベーターを降りて、大通りに出ると寒い北風が襟元に入って来る。思わずダウンの襟を立てて風の侵入を防いでしまう。天気は良いけれどやはり風は冷たい。でも、このダウンジャケットを着てれば大丈夫。このダウンは安売り店ではなく、高級なブランド物を扱う用品店で購入したのです。とても暖かくて、中は上等な羽毛を使用しているので、軽くて肩が凝らないし着心地が良い。デザインもお洒落で、一目でこの商品が気に入り、昨日、衝動的に買いました。寒い日が続いていたし、ちょっと外出するのには手頃と思ったのです。今日、早々に着て行く。孫の所に遊びに行くのは、以前から約束していたのですが、孫に「ジイジ似合うだろう。」このダウンジャケットを見せるのも、一つ自慢の話が増えました。値段は非常に高かったのですが、孫に会うのならいい格好をしたいと言うおじいちゃん心理も働き、衝動買いをする要因にもなりました、
通りを歩いていると、とても身体にフィットしている。高級そうに見えるので、街行く人が羨ましげに視線を向けてくれているのでは、と錯覚すら感じました。最初、襟元に寒さを感じましたが今は全く平気。身体の中がポカポカと温まって来るようでした。思い切って買って良かったと改めて思います。
野原正志さんは66歳になりました。昨年で会社は定年退職、仕事からは完全に退き、年金と退職金を切り崩しながらの生活です。身体は健康なので退屈で仕方がない。毎日、図書館で本を読んで時間を過ごすのが日課となり、たまに、孫の所へ遊びに行くのが楽しみとなっています。
地下鉄に乗車すると、お客は皆マスクをしています。していないのは野原さんだけ。世界ではコロナウイルスが流行して、その感染症対策にマスクを着用しています。着用して来なかった野原さんは自分が恥ずかしくなりました。妻の陽子さんが居れば、マスクを持って行きなさいと忠告してくれるのですが、つまらぬ事で大喧嘩をしてしまい、実家に帰ってしまっていたのです。
他の乗客に申し訳ない気持ちで地下鉄を降りると、娘さんの家に向かいます。
娘のマンションのインターホンを押します。
「ジイジ、こんにちは。」5歳になる孫が迎えてくれました。
部屋に入ると、すぐに孫娘が言います。
「ジイジ、マスクは?」
「忘れちゃった。」そう返答すると、
「駄目だよ。マスクしなくちゃあ。コロナに感染してしまうよ。」
5歳の孫娘に叱られました。横で、娘が笑ってました。
「ジイジ、リカがマスク作ってあげる。」孫娘が言います。
「リカちゃん、マスク作れるの?」野原さんはびっくり仰天。
「作れるよ。ママに教わったの。ジイジのマスク作る。」そう胸を張りました。
孫はもう1人、3歳になるエリがいます。その日は3人でかくれんぼやトランプをして遊びました。娘さんはお父さんが来てくれるとリカとエリと遊んでくれるので、買い物に行けると喜んでくれています。何しろ、世間はコロナによる緊急事態宣言の真っ最中。ほとんどのお店が自粛して休業しています。スーパーで買いだめをしておかないと、食べ物がなくなってしまう。でも、小さい子供がいると思うように動けない。本当に助かると野原さんの訪問を歓迎してくれています。
晩になると婿さんが仕事から帰って来ます。5人で夕食を食べる。この1週間は1人の生活だったので久しぶりの団欒。ビールも飲んでほろ酔い気分、楽しいひと時でした。
帰り際、リカとエリにダウンジャケットを自慢する。
「恰好良いけれど、マスクしなきゃ駄目だよ。」と、またリカに怒られました。娘さんが聞いて来ます。
「お母さんとなんで喧嘩したの?」
「退職したからと言って、ずっと家に居られると鬱陶しいんだって。『どこかへ出て行って。』と言うから、『出ていけ』と言われても、どこに行くんだ。世間はステイホーム、図書館もやっていない。」
「パパは口うるさいから、いちいち監視されてるようで嫌になったのでしょう。それに家事だって手伝わないし。」
娘が意見を述べる。
「それで自分が出て行くと言って、実家へ帰ってしまった。」
実家には妻の年老いた母が、1人で介護保険の世話になりながら住んでいる。
「たぶん、心配しなくって大丈夫。お母さんのことも気になったのでしょう。帰って来ても、あまりこまごまと言わないことね。」
娘はそう忠告してくれたそうです。
3日後に1通の封筒が届きます。開けるとマスクが2つ入っている。裏側に、1つにはリカちゃんマスク、もう1つにはエリちゃんマスクと書かれています。
『ジイジ、マスク作ったよ。だからしてね。コロナに感染しないように。』と寄せ書きがしてあります。
先日遊びに行った時の約束を守ってくれたのだ。マスクをしてなかったので心配してくれている。たぶん、娘の正美が作るのを見よう見まねで一緒に作ったのだろう。可愛いなと感激してしまいます。
すぐにメールでお礼の言葉を娘に送る。
「私とリカとエリ、3人で作ったの。可愛いでしょう。してあげてね。」とメッセージが戻って来る。
自然に手が動いてマスクを口に当てる。ゴム紐が耳にピッタリとフィットして、違和感はなく大きさも丁度良かった。
野原さんはこのマスクをして外出したい衝動になります。何の用もないのに、近くのスーパーへ向かいます。孫のマスクをして歩きたかったからです。せっかくだからと発泡酒を2本買います。ぶらぶら歩いていると、薬品売り場にマスクが置いてあります。これからは孫の言うようにマスクをしなければならない。2枚ではすぐに無くなってしまう。ストック2箱購入しました。
家に戻り、その1箱を開けると20枚入っている。その20枚に以前孫にあげようと買っておいてあったアンパンマンのシールを貼る。リカとエリはアンパンマンが大好き。アンパンマンのシールをプレゼントしたら喜ぶだろうなと思ったからです。シールを貼り終えると、そのマスクを持って翌日、再び娘のマンションに遊びに出向きます。
2人の孫に、送ってくれたマスクのお礼を述べてアンパンマンのマスクを渡すと、とても喜んでくれました。
孫たちも外に出る時はアンパンマンのマスクをしてくれたし、野原さんもマスクを必ず着用するよと約束しました。
その1週後、妻の陽子さんから1通のメールが届きます。陽子さんは些細な事から喧嘩して、実家に帰ってしまってからは音沙汰なしでした。
何だろうと思いメールを開く。見ると、リカとエリからマスクが届いたと言う。リカちゃんマスク、エリちゃんマスクと刺繍されている。『このマスク、ジイジにも送ったよ。マスクして早くジイジの所へ帰ってあげて。ジイジ寂しがっている。 リカとエリより』
との寄せ書きが添えられて・・・。
途中、メールにはにっこりと笑っている人形のスタンプ。その下に伝言が続く。
『お母さんは体調を崩していたけれどもう元気。まだ施設には入らず、介護士のお世話になりながら元気にやって行けそう。
あなた、孫からマスクもらってきちんとするようになったんだって、孫には敵わないね。
このマスクも可愛いけれど、リカとエリはもっと可愛い。明日家に戻る。そうしたらリカとエリに会いに行こう。2人にお土産買ったから。』
そしてお犬さんのガッツポーズをしたスタンプ。
これからは年金生活。妻と顔を合わせた日常が繰り返されます。少し、家事を手伝おうと決心したそうです。
野原さんの膝の痛みも無痛ゆらし療法で無事に治癒しました。今では痛みなく歩けるそうです。
リカちゃんマスクとエリちゃんマスク。2枚のマスクを交互にしながら、膝の痛みを感じることなく元気に街を歩いています。2枚のマスクはコロナの感染から、無痛ゆらし療法は膝の痛みから守ってくれています。