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<title>心に残った患者様との思い出</title>
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<title>８０歳の鍼灸師</title>
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<![CDATA[
サブタイトルその鍼灸師の先生から往診の依頼がありました。座骨神経痛のような腰の痛みで困っている。お宅のホームページを見たら、ゆらし自然療法で痛みや痺れが取れると打ち込まれているが本当に取れるのかととの問い合わせ。その声の音色からして半分、半信半疑。でも、ちょっと好奇心もあるようでした。「座骨神経痛から来る痛みなら、ゆらし自然療法の施術で症状は緩和します。後は信用してもらえるかどうかです。」と返答します。「それなら、わしの施術の勉強にもなるし、一度、騙されたと思って、ゆらし自然療法を受けて見よう。」との見解でした。それで、往診をすることになりました。訪問した先は神戸市、阪急三宮の駅から歩いて１５分ぐらいの場所。その先生の鍼灸治療院でした。一人で鍼灸院を開業している。保険が効かないので、実費診療。それでも、多忙を極めるほど患者さんは来ています。その先生、島川先生の鍼の腕が卓越しているのでしょう。その凄腕の先生が、何で自身の坐骨神経痛を治療できないのか不思議でしたが、確かに、自分自分の身体に鍼を打つのは難しいかと推測します。島川先生はネットで検索していたら、ゆらし自然療法の施術が目に入ったそうです。非常に断言した書き方をしているので、確かめてやれと電話したとのこと。治癒すればめっけもの、もし、全く治らなかったら、まゆつばだと徹底的に批判してやれと思ったそうです。また、鍼以外の施術も学習も兼ねて経験して見るのも良いと思ったとのこと。９，０００円なら、手頃で遊び感覚。ネットで楽になると主張している。少しは痛みが取れるのではないかととの程度で、あまり期待はしていなかったと後々、語ってくれています。訪問して、先生の年齢を聞いてびっくり。８０歳でした。８０歳で現役で鍼灸治療をしている。電話で声を聴いていたら、若々しく、５０代ぐらい、まさか、８０歳とは賞賛の仰天です。問診早々、「ゆらし自然療法で俺の痛みと痺れが解消できなかったら、インチキだ。すぐにホームページを撤退しろ。」と言われました。でも、冗談半分で言っているのはすぐに理解できましたけれど・・。お互い、治療家として気持ちは、仏教用語で言う浮華軽佻、以心伝来でした。ふと頭を過ります。これは絶体にこの先生」の痛みを解消してやろうと。また、その自身はありました。口では辛口の文句を言って来ますが、施術を始めると非常に従順でした。たぶん、ご自身の痛みや痺れを解消してもらうのと同時に、ゆらし自然療法がどう言う施術なのか学習してやろうと言う研究心もあったのでしょう。とにかく、多弁な患者さんでした。口は悪いが気さくな人でしたので、以外と馬が合いました。自分自身の鍼灸師としての自慢話をします。「俺は、９０歳まで鍼を打ち続ける。」と意気盛んです。なぜ、自分が鍼灸師になったのかを語ってくれました。島川先生が鍼灸師になったのは６０歳。そんなに遅かったのかと驚きです。それでも８０歳ですから、２０年のキャリアを持っています。もともと、島川先生は個人タクシーの運転手。三流大學（本人の弁）を卒業すると、すぐにタクシーの運転手になった。理由は運転が好きだったから。２２歳でタクシーに乗務してから無事故無違反。一度も警察にキップすら切られたことがないと、ここでも自慢します。勤務していたタクシー会社から何度も表彰されて模範ドライバーだった。もらった表彰状は大切に保管してある。その後、個人タクシーの運転手として独立する。個人タクシーとしての経営は順調。神戸の山の奥だが、一戸建てのマイホームも購入した。一生、個人でタクシーを運転して人生を終えようと設計図を引いていたそうです。それが予想もしないある突発的な事件で歯車が狂ってしまった。５５歳の時だったと当時を悔し気に思い出しながら語ります。その日、夜遅くまで走り最後のお客を送り届け、自宅へ戻ろうとハンドルを回した時、気持ちが業務が終わったと言う油断があったのだろう、突然、路地から出て来た人を撥ねてしまった。その人、相当、酒に酔っていて千鳥足だった。目の前に人が現れて、はっとブレーキを踏んだが遅かった。被害者の方は大きなき叫び声を上げて、路上に血だらけになって倒れていた。それ以来、運転が怖くなって出来なくなった。とても悲しそうな表情で回顧します。人様の命をい殺めてしまったと懺悔します。その語り口がとても悲壮に漂っていたのでそれ以上は聞けませんでした。たぶん、賠償はすべて保険でしたのでしょうが、奥様と相談して、タクシー業務からは撤退して二度と車には乗らないと決意した。タクシーに乗務してずっと無事故無違反。超模範運転手がたった一度切りの人身事故でハンドルを握る情熱が消失してしまった。勿体ない話です。それで鍼灸師になる決意をした。タクシー乗務員から鍼灸師、大きな決断でした。鍼灸師の資格を習得したのは６０歳。随分とおそがけの鍼灸師さんですが、本人はタクシー時代の経験が結構、治療に役に立っているとプラス思考に考えています。別の世界で学んだ事柄は、何らかの形で新しい分野に効果をもたらしてくれると言うことでしょう。６１歳からのスタートでも、２０年のキャリアです。お元気です。健康の秘訣は柔道。柔道５段です。８０歳の今でも、近くの道場で若い人たちと週１回汗を流している。老人と言う印象を感じさせません。９０歳どころか１００歳まで、鍼が打てるのではないかと思います。この先生、生粋の神戸っ子。神戸生まれはわかりますが、生まれてこの方、たった２回しか神戸の街を出ていないと言います。２回とも柔道の試合。大学時代に東京と九州は熊本に対外試合に行った時だけだったそうです。大阪の梅田の駅にも８０歳の人生で一度も下車したことがない。要するに、柔道の対外試合２回以外、JR、阪急、阪神の神戸を走るメーン電車にほとんど乗ったことがないと言うのですから驚きです。神戸は素晴らしい都市だよと熱く語ります。仕事が終わると、たまに三宮の居酒屋さんで一杯飲んだ後、一時間ほどぶらぶら歩きます。気に入ったお店があるとすぐに入ります。三宮周辺の安くておいしいお店はほとんど通暁している。もともと、タクシーに乗っていましたので、三宮の街の地理には詳しい。俺は三宮の生きた地図だと豪語しています。座骨神経痛は３回の施術で治癒しました。痛かったこともあるが、本当に痛みがとれるのかとと言う猜疑心も強かった。どんな施術かと見極めてやれと言う好奇心もあったそうです。それにしてもあれだけひどかった痛みが完治した。ちょっとまがいものではないかと抱いていた疑念が払拭したと驚愕の中に詫びてくれました。これでまた、元気に鍼灸治療が出来ると喜んでくれました。「俺がもう少し若かったら、無痛ゆらし療法を教えてもらうのに。」と語ります。「８０歳ではな。覚えて頃に向こうの世界か。」と冗談を言います。「俺は鍼一本で行くよ。俺の手に負えない患者さんがいたら、紹介するから宜しく。」その言葉に、『良かった。ゆらし自然療法が本物だと思ってもらって。』胸を撫で下ろします。座骨神経痛の痛みが取れて本当に良かったです。テキストテキストテキストテキストテキストテキストテキストテキスト
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20230703180905/</link>
<pubDate>Mon, 03 Jul 2023 18:25:00 +0900</pubDate>
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<title>ゴルフ肘</title>
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<![CDATA[
82歳を迎えたゴルフ肘の患者さんです。趣味がゴルフ、さすがに８０歳を超えている、スコアは９０前後まで落ちたそうですが、若い頃はローシングル、２０代の頃は本気でプロゴルファーを目指した時もあったとのこと。
その年になっても、週3回はグリーンに出ている。ゴルフは俺の人生だよと述懐します。
廃業しましたが、若い頃は鐵骨屋さんを経営していました。今では、街の中に鉄骨屋さんなど見られませんが、昭和30年代当時はあちこちに鉄骨屋さんがありました。当時は、建屋の骨幹は鉄鋼の全盛時代。鉄骨屋で随分と儲けたと自負します。でも、昭和50年代に入り、建築材料が鉄鋼からアルミや他の資材に取られて個人経営の鉄骨屋さんは経営が成り立たなくなって行ったそうです。
その８２歳のゴルフ肘の患者さんは語ります。
「俺は良い時に鉄工所を経営していた。俺が年を取って働けなくなったら、鉄鋼産業が下火になったからな。
お陰で財産も出来た。この家も鉄骨で儲けた金で建てた。仕事の合間はゴルフ三昧だったよ。」
大阪市内に一戸建ての自宅を構えています。
おじいさんは昭和一桁生まれ。その世代の人と比較すると、相当背が高く、１７５センチあります。若い頃は、周囲の人から、フランケンシュタインと言われたそうです。体格も良く、本当、元プロゴルファーだったと偽ったとしても納得が行きます。
しかし、加齢とゴルフのやり過ぎで、左ひじを痛めます。痛くてゴルフが出来ないので、無痛ゆらし療法で治療して欲しいとのことで往診しました。
仕事を辞めてからは、おじいさんの日課は愛車のベンツでさっそうとゴルフ場に向かうこと。ゴルフも喜びの一つですが、ベンツでドライブするのも楽しみの一つなのです。
そんな折、プレーの後、ゴルフ場の帰り道、カーブを曲がろうとした時、前方から車が中央線からはみ出して来たので、慌てて避けようとしてハンドルを切り損ねてカードレールに追突してしまいました。ガードレールを壊して、ベンツも破損してしまいました。幸いにあまりスピードを出していなかったので、シートベルトが守ってくれて、運転するおじいさんには怪我がありませんでした。
しかし、この事故で家族の者は心配します。高齢運転、もう二度と車に乗るなと意見されます。現実に、この事故の以前にも、バックで車庫入れの時、柱にぶっけたり、アクセルとブレーキを押し間違えて、低スピードでありながらも壁に衝突したことが何度もあったのです。
だから、今回の事故で家族はおじいさんの運転にとても心配したのです。
でも、本人はどこ吹く風。「俺は運動神経が良い。若い奴らより運転技術は上だよ。」と豪語して気にも留めません。
そんなある日、おじいさんは体調が悪いと寝込んでしまいました。夏が３８度６分ありあした。コロナが流行しています。家族の者はコロナではないかと心配します。すぐに、救急車を呼びます。病院に運ばれてＰＣＲ検査をするとやはりコロナ陽性でした。入院手続きをして、コロナ病棟で治療します。８２歳の高齢、年齢が年齢だけに、心配はさらに高揚します。しかし、心配をよそに、３日もすると熱は下がり、健康を取り戻して、「さあ、また、ゴルフに行くぞと！」と隔離病棟から元気に自宅に戻って来ました。
ところが、家に帰って来て、おじいさんびっくり仰天。愛車のベンツがガレージにない。一体どこへ行ったのだと、妻に食って掛かります。
妻が答えます。
「息子の孝夫が乗って帰った。
もう、おやじの運転は危ない。俺が貰い受けると言っていた。」
妻の返答はあっけらかんでした。
「何？おれがコロナで死ぬと思ったのか。」
「まさか、運転が危険だから。今回の事故でわかったでしょう。
これを機会に運転を止めてもらおうと考えたのよ。私も賛成した。あなたが一時預かって置きなさいってね。」
「俺のベンツだぞ。何で孝夫に持って行かれるんだ。」
「いいじゃないですか。息子ですよ。」
「車が無ければゴルフに行けない。」
「ゴルフ場には孝夫が送り迎えするそうよ。どうせ、月に1回か2回でしょう。」
「いや、もっと行くつもりだ。」
「最近は肘が痛いと言って、以前のようにあまり行っていない。」
「先日、クリハラ先生にゆらし自然療法で施術してえもらって痛みは治癒している。あの激痛のように痛かったのが嘘のように取れている。ゴルフに支障はない。週1回は行きたくなっている。」
「肘の痛みは回復しても、身体が付いて行けなくなっている。第一、あなたのゴルフ仲間、皆さん、運転を卒業していますよ。
息子たちに送迎してもらえるのは幸せです。」
確かに、おじいさんのゴルフ友達は、８０歳半ばを過ぎてご高齢。ほとんど、自宅で寝込んでいる。とても自ら運転してゴルフ場まで行く体力はない。ゴルフどころではなくなっている。そう言う意味ではこのおじいさん、この年齢で、月にⅠ、２回グリーンに出れるのは元気の証拠である。今は３人の息子たちがプレーの同伴者となっている。息子たちの嫁たちもクラブを握るので、時々、家族の団欒も兼ねて家族コンペも実施している。
妻や息子たちが心配するのは、ゴルフ場までの往復の運転なのだ。親父はいつも自分で車を運転してゴルフ場へ行く。ゴルフ場だけではなく、近くのスーパーへの買い物にも妻を乗せて運転して行く。孫を乗せてハンドルを握るのも楽しいとしていて、ベンツの乗るおじいちゃんは凄いぞと自慢気だった。でも、乗せられる孫たちからは、おじいちゃんの運転は怖いと悪評も立っていたのです。
コロナになった機会に、車を取り上げてしまおうと家族会議で決定する。孝夫は３人兄弟の次男坊。彼だけが乗用車を持っていなかったので、彼がもらい受けることになった。
おじいさんは俺がコロナで苦しんでいると気に、家族でそんな陰謀が策略されていたと思と腹が立ちましたが、決まってしまったものは仕方がない。それに孫たちが怖がって乗りたがらないのなら、運転していても喜びが喪失してしまう。自分も年なのかなとしんみりとしてしまいます。
最近、高齢者の運転の危険性が問題になっている。あちこちで事故が起きている。妻や子供たちはそれを指摘している。そろそろ、運転を卒業する潮時かなと観念しました。
クラブハウスへは息子たちの車に同乗させてもらええば良い。ゴルフが出来なくなった訳ではない。それより事故を起したら自分だけの責任ではない。被害者の方にも謝罪して許してもらえるものではない。大悲劇だ。
おじいさんは、最初は、俺からベンツを強奪しやがってと立腹しましたが、家族の者たちの助言が正当であると納得したのです。
そんなある日、長男の薫から、家族全員で遊園地に行こうと申し出がありました。おじいさん、子供たちとの家族関係とても仲が良かった。三人の息子たちは、皆独立して家族
を持っている。年に1回か2回、それぞれの一家が皆集まって、ドライブ旅行に出掛ける。
その理由は子供たち3人も、お父さんのＤＮＡを引き継いで、車が大好き。3兄弟はお父さんのようにベンツのような高級外車には乗っていませんでしたが、次男を除けば、国産の高級車を乗り回していました。その次男もお父さんからベンツを譲り受けて、颯爽と運転しています。
皆で遊園地に行こうとなりました。その遊園地は郊外の山の上にあり、ドライブも兼ねて最高のテーマパークでした。孫たちも喜ぶ。遊園地で孫たちと乗り物に乗る。特に、ジェットコースターに恐怖の叫びを上げながら、ワイワイ言いながら乗るのは本当に楽しい。過去に何度もその遊園地には行ってまっした。
ただあ、一つ違うのは、今回はおじいさんは運転しない。孫と一緒にの出てもらう。ちょっと寂しい気持もしましたが、これも時の流れと理解しながら、結構、同乗させてもらうのも、窓から違った景色が満喫出来て、孫たちともお喋りが出来る。違った面白みが堪能出来ると実感しました。
孫たちは遊園地にある子ども用の車に乗ります。まさにミニドライバーの誕生です。最高のドライブをして1週して戻って来ると孫たちは言います。
「運転、上手かった？」
「上手だったよ。おじいちゃんより上手だ。」
そう、おじいさんは答えます。
「おじいちゃんも運転したい。」
「それはしたいよ。おじいちゃん運転大好きだからね。
でも、もう年だ。引退したよ。」
おじいさんの脳裏には運転したいと言う気持ちは強いのですが家族の手前そう答えるしかありません。
遊園地で思う存分遊んで、まだ、日が明るいうちに娯楽施設を出ます。
その時、次男の孝夫はある提案っをしてくれます。
「お父さん、もう一度、このベンツで最後のドライブをしない。
危ないから、もう2度と車に乗ってもらっては困ると言っていたのに、びっくり仰天です。
「おじいちゃんの最後のドライブ！
僕たちも乗せて。」
何と孫たちも言ってくれます。
「いいの、おじいちゃんの運転怖くない？」
「夕食の予約をしたレストランまでの最期のドライブ。無理やりベンツを取らげられてしまったから心残りだろう。
山道の国道だし、そんなに心配はない。最後に思い切り運転をしたら。」
長男がエールを送ってくれました。
そのメッセージに妻も、息子たちも、嫁も、6人の孫たちも大賛成。
じゃんけんで勝った3人の孫と助手席には次男の孝夫が同乗する。おじいちゃんの久しぶりの運転。慣れ親しんで来たベンツの車体はおじさんの踏むアクセル軽く、軽やかに静かに発進しました。他の兄弟と家族は２台の車でその後に従います。
「おじいちゃん、アクセルとブレーキ踏み間違えないでね。」
孫がいたずっらぽく注意してくれます。
「大丈夫だよ。おじいちゃんを見損なうな。」
おじいちゃんは笑顔満面で答えまた。
亜希の山道、緑の樹林の中に、所々に紅葉が鮮やかに目に映し出されます。その美しさに思わず気を取られます。
「遊園地の乗り物も楽しかったけれど、紅葉を見るのも和むね。」
すると以外な言葉が返って来ます。
「おじいちゃん、よそ見しては駄目だよ。しっかりと前を向いて運転して。」
運転をしながら、窓からの爽快な風景を語り合う。それがドライブの醍醐味なのだ。それを脇見運転だと言う。孫たちはそう感じているのか。
おじいさんは思いました。孫たちを乗せて運転するのはこれが最後かな。
孫たちは自分の老いを良く見ている。孝夫がベンツを取り上げてしまったのを改めて納得したのです。
しばらくして、予約していたレストランに着きました。遊園地から10分ぐらい。おじいさんは無事に孫たちの運転手を勤めました。
レストランには大きなケーキが用意されています。その日、おじいさんの81歳の誕生日、誕生パーティーも兼ねていました。
「おじいさん、誕生日おめでとう。」
孫たちに祝福されて、蝋燭の灯をけした時、
『81歳か。ここまで良く元気に頑張って頑張って来れたものだ。』
そう自分自身の健康に注意するとともに、もうこれで車の運転から卒業することに、気持ち良く心のわだかまりを整理出来ました。
そして、最後に、孫たちを乗せてドライブさせてくれた3人の息子たちとその嫁に感謝しました。
その日の晩餐はおおきなステーキ。少し血が滴っているレアーのお肉を口一杯に方ばあると、活力が身体中に漲ります。コラゲーンがエネルギーを作ります。
「運転は止めるけれど、ゴルフは止めない。まだまだスコアーは80代キープ。孫
と一緒にグリーンまで出るまで頑張る。
「おじいいちゃん。その意気だよ。
僕も一緒におじいちゃんとプレーするんだ。」
高校生の孫がそう激励してくれました。
おじいさは好き赤ワインを注文して思いっ切り飲みます。もう、帰りは運転しないのと決めたからです。自称名ドライバーと自負していましたので、名人は引き際も潔い。運転しなくなるのは寂しいけれど、逆に好きな酒が思う存分飲める。今迄は、ゴルフの帰りはアルコールは厳禁でした。これからは息子たちの運転手付きでグリーンに行ける。運転する者には
申し訳ないが、『酒が飲める！酒が飲めるぞ！』だ。
「親父、酒が飲めていいな。」
と、もし息子たちが苦言を称したら、こう言い返してやろうとさ作戦を練ります。
「おまえたちが、私のベンツを取り上げて運転するなと言うからだ。
楽しみを奪いやがって。だから、俺だけ酒を飲んでも文句は言うな。」
そんな発想に満足しながら、自分も本当に年を取ったものだと痛感します。
和気藹々の食事が終わり、家路に向かいます。おじいさん車のキーを次男の孝夫さんに渡します。もう、これでハンドルを握ることはない。大きな決断でした。
帰りの車中で、ワインの心地良い酔いも手伝って、うとうとと睡魔が襲います。
夢の中で最後のドライブをさせてくれた息子たち、嫁、孫たちに感謝しました。
運転は定年退職したけれど、ゴルフはまだ現役。ゴルフクラブを持つ孫たちに、パットの指導をしている自分自身が逞しく躍動していました。
痛かったゴルフ肘も、クリハラ先生のゆらし自然療法で完治。
その時、そのおじいさんは『最後のドライブ』の話をしてくれました。
「栗原先生ありがとう。左肘の痛みは完全に取れた。思いっ切りスイングが出来る。80のスコアーはキープしたい。
先生と無痛ゆらし療法に出会わなければ、ドライブどころかゴルフも最後になるところだった。本当に感謝です。」
痛みが取れてゴルフに復帰出来て本当に良かった。ドライブは引退。でも、ゴルフは永遠の楽しみ。人生100年です。痛みなのに人生そのものを卒業してはいけません。
「高校生の孫と一緒にグリーンに出て、その高校生の孫が結婚してひ孫を見るまで元気でプレーを続けて下さい。
また、肘に痛みが出たら、連絡して下さい。すぐにでも往診に駆けつけます。」
「力強い味方がいる。もう年だ。でも、肘以外に痛みはない。また、痛みが出たら宜しく頼む。」
そうエールの交換をいました。
そのおじいいさんお名前を稲村さんと言います。
肘の痛みは治癒したので、あれから連絡がありません。
フェアーウエイやグリーン上で、元気に孫たちにゴルフのレッスンをしいているのが目に浮かびます。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220902144452/</link>
<pubDate>Fri, 02 Sep 2022 14:48:00 +0900</pubDate>
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<title>おじいさんのオーダースーツ (肩こり)</title>
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<![CDATA[
これは肩こりに悩み来院往診させてもらった患者さんから聞いたお話です。その患者さん肩こりがひどく、マッサージ屋さんや整骨院で揉んでもらいましたが、その時は気持ちがよく楽になるのですが2、3日もするとまた肩が凝って来る。仕事にも差支えるので何とかならないかとネットで検索した結果、無痛ゆらし療法をやってみようとなったそうです。
施術をしながらいろいろと会話が進みます。話をしていると患者さんの緊張感が取れるので、施術中に無痛ゆらし療法の疑問点を聞いてもらったり、こちらからも積極的に話題を提供するようにしています。

その患者さんはリサイクルショップを経営しています。山本亜弥さんと言いました。地下鉄A駅を降りて、大通りから北へ歩いて1つ目の角を曲がった所にお店があるそうです。元々は本屋さんでしたが、1年前からリサイクルショップになりました。経営者は一緒です。娘が後を継いでリサイクルショップに様変わりしたのです。
最近の若い人は活字を読まなくなった。その上、インターネットでも本が読めるようになりました。だから本屋をしていても収益が上がらなくなったからです。
両親は老いて娘に譲ったとはいえ、まだ健在でしたので長年続いた本屋を辞めるのは反対でしたが、娘が思い切り良く決断したのです。

娘の名前は山本亜弥。亜弥はまだ使えるのに捨てられてしまう日常品が勿体ないと思い、要らなくなった品物を中古として販売したら資源の節約にもなるし、商売としても面白いのではないかと考えたのです。
果たして必要のなくなった品物を売りに来る人がいるのだろうか、また人が使い古した物が商品になるのだろうかと心配もあったのですが、どうせ捨てるなら幾らかでも銭にしたい、使い古しでも使用に問題がなければ安い方が良い、と言う人間の合理的な心理も働いて、オープンして1年、結構お客様がいっぱいで繁盛していました。
それに亜弥は用品店や雑貨店を駆け回っては、売れ残った商品を安く買い叩いて仕入れてきました。そう言う才能が亜弥にあったのです。
中古とは言え、とにかく安い。百貨店で5万円ぐらいしていた紳士物のブレザーが2,000円で販売されてました。要するにこう言う商売は、買ってくれるお客様より売ってくれる仕入れの人の方が大事。だって良い物が超安値で買えるのなら、黙っていても売れるわけですから。そう言う意味では亜弥は千里眼と言うか、捨てられてしまう物品の中に商品として再生できるかどうか見極める能力が卓越していたのかもしれません。

そんなある日、亜弥の店に1人の高齢男性が来られました。見た目は70歳ぐらいか、でもテカテカのカッターにしわくちゃなチョッキ、よれよれのジーンズと言う身なり。髪の毛は剥げてはいないが白髪のボサボサ。加齢臭の漂ううだつの上がらない爺さん、どう見ても失態者に見える。お洒落とはほど遠い生き者に映りました。
その老人が店に入って来ました。差別的な目で見てはいけないのですが、この人、生活保護者で生活に困ってその日の食事を求めて持っている物をお金に換えようとこの店にやって来たのかと思いました。
「姉ちゃん、この背広いくらで引き取ってくれる。あつらえで2着とも10万以上はした。」
そう言って持って来た上等そうなスーツを商品代の上に乗せました。
確かに高級生地、オーダーメイドで仕立てたのだろう。購入した時はそれぐらいの価格はしたはずだ。
亜弥は手に取って大まかに目を通す。
「1着300円。2着で600円です。」亜弥は即座に答える。すると予想した通りの言葉がその老人から返って来ます。
「300円はないだろ。こっちの背広は12万円、こっちは18万円もしたんだぞ。それもほとんど着ていない。新品同様だ。300円はひどくないか。」
「商品を持ち込んで来た人、誰もがそう言います。安すぎるって。あそこに吊ってあるスーツを見て下さい。4,500円の値札が付いてます。400円で引き取りました。英国製の40万円近くしたスーツです。実際、4,500円でも売れるかどうかわかりません。」亜弥はそう説明した。
その高齢男性はその商品に触って見る。
「確かに、肌触り良く高級そうに見えるが本当に40万円もした背広か。」
「そう思うでしょう。お客様が持って来てくれたこの背広も、この店に並べるととても10万以上もする商品には見えないのですよ。何しろ、ここは安売りリサイクルショップと言う先入観がありますから。それに洋服はサイズもあります。気に入って頂けても、大きさが合わなければ意味がありません。
「40万円の背広が4,500円でも売れないのか。」
その高齢男性は目を白黒させました。
「600円で2着引き取りましょうか。」
「俺の背広、一体幾らで店頭に並べられるんだ。」
売り主の素朴な疑問だ。
「1着3,000円ぐらいですか。」
「と言うことは1着2,700円の純利益か。」
「違いますね。クリーニングもしなければいけないし、ほころびなども修正しなければなりません。店頭に出すのには、商品としてのリフォームが重要なのです。そう言う経費も掛かるのです。」
「それにしても、18万円の背広が300円では名残惜しい。」
「衣類は、一度購入して袖に手を入れてみたらほとんど価値はなくなるのです。勿体ないと思うのならご自分で着ていることです。このスーツはお客様が着てこそ、買った当時のブランド価値が出るのです。」
「しかし、わしは第一線から退いて着ていく場所もない。必要ないのだよ。だから少しでも金になればと思ってな。孫に何か買ってあげられる。でも300円とはな。」その老人はため息をつく。
亜弥は即座に言葉を返す。
「おじいさん、もう少しお洒落をしたらどうですか。すでに退職して第一線を退いたからと言ってもその恰好はひどすぎる。どこかの浮浪者のようです。昔10万円以上もするスーツを着ていた人とはとても思えないです。現役時代はそれなりの地位に就いていたのでしょう。」その老人、自分の姿を振り返る。
「年金生活だしな。着て行く場所もない。この装いが一番気楽で良い。
「失礼ですが、加齢臭漂う爺さんにしか見えません。お洒落しましょう。現役を退いたからと言ってお洒落しない法則はありません。」亜弥はその老人に失礼のないように優しくメッセージを送る。
浮浪者呼ばわりされて、その老人は怒るかと心配したが別に怒りも見せずに穏やかな言葉が返ってくる。
「確かに、この格好ならそう見られても仕方がないか。人前に出なくなると服装などどうでも良くなってしまう。孫の前で恥ずかしいな。」
「そうですよ。このスーツを2着売って600円のお土産を渡すよりも、この背広をバシッと着こなしてお孫さんと会う方が絶対に喜びますよ。」
「そうか、孫の前ではダンディなおじいちゃんでいたいからね。処分するのはこの古臭いチョキとよろよろのジーンズだな。ありがとう。」そう言うと持って来たスーツをきれいに畳み直して帰って行きました。

翌日、その老人が再び店にやって来ました。その日の出で立ちは、昨日売ろうとしていたスーツを颯爽と着こなしていました。
「これから孫の所へ遊びに行く。お土産にこの縫いぐるみを買って行く。」
店に飾ってある縫いぐるみを2つ買ってくれました。どうやらお孫さんは2人いるようです。
嬉しそうに縫いぐるみを抱えて帰って行く後姿、とてもスーツが似合うダンディな紳士でした。きっと現役時代は大きな会社のやり手のビジネスマンだったに違いありません。亜弥は浮浪者みたいだと言った事を心の中で謝ってました。

その翌日、再びそのダンディな高齢者はやって来ました。今度は売りに来たもう1着のスーツを着ています。こちらも凛々しく非常にお似合いです。男の人は装いでこうも格式が変わるのでしょうか。
「あなたの忠告のお陰で孫たちがおじいちゃん素敵と言ってくれた。いつものおじいちゃんと違うって・・・。言われてみれば服装など気にしなかったからなあ。スーツを着て喫茶店に入ると、店員さんの態度がどことなく違うな。気持ちだけでも現役時代に戻った気分だ。」
薄汚れた浮浪者から、ダンディな高齢者に変身。そう愉快に語ってくれます。
「お洒落を心がけると、何をコーディネートしようかと考えるだけで認知症予防にもなりますよ。」
「これからはお洒落に気を配る。何も新しく買う必要もない。若い頃着ていた服がタンスにいっぱいある。」
「そうですよ。高級な洋服をタンスの肥やしにしておくのは勿体ないです。」
「孫娘たちとデートしなければいけないからね。」
そのダンディなおじいさん、その日も縫いぐるみを2つ買って帰って行きました。

次の日曜日に、そのおじいさんが2人のお孫さんを連れてお店にやって来てくれました。もちろん、ブランド物のネクタイと高級そうなスーツを颯爽と着こなして・・・。
「あなたのお陰でお洒落をするようになったよ。そうなんだよ、現役を引退したからと言って背広やネクタイを着てはいけないと言う常識などない。今では散歩に出るのにもネクタイをしているよ。別に仕事をしている訳ではないのにね。
気持ちが若返るしぴしっと気が引き締まる。洋服タンスを見ると勤め人だった頃着ていたスーツがいっぱいあるんだ。洋服がタンスの中に監禁して置くな。着てくれと訴えているようだった。死ぬまでにすべて着こなすよ。こいつは現役時代、仕事を共にした分身なのだ。」
そう言うと、その老人は右の親指で自分の着ている背広を指した。さも誇らし気に。
「そうですよ。そのスーツはお客さんの現役時代に苦労した汗と涙が染み付いているのです。引退して年を取っても着てあげるのが恩返しです。それを用済みだと言って売ってしまうなんて。」
「この40万円したと言うスーツを買う。4,500円なんてみたいな話だ。体系も合っているし、処分してしまうのは勿体ない。」
着てみるとピッタリでした。その背広を手に抱えると、その日も嬉しそうに帰って行きました。

そのお客さん、それから常連になってくれました。着こなして要らなくなった服や、高級そうな置物を持って来てくれました。お金は要求しません。
「服は着飽きたし、置物も邪魔になったから寄付するよ。買った時は結構高かったんだ。」と言ってくれる。
「この服を誰かが気に入ってくれて購入してくれたら嬉しい。」と笑顔で語ります。
「こう言う商売は人助けになるね。要らない商品を必要な人が買ってくれる。資源の節約になるし、あなたは素晴らしい商売を考えたものだ。」
亜弥さんはとても嬉しかった。親の反対を押し切って、本屋を辞めてリサイクルショップをやって本当に良かったと思った瞬間だったそうです。

施術中に患者さん、亜弥さんが語ってくれた世間話です。何となく心温まる思いが宿りました。
亜弥さんの肩こりは5回の施術で無事取れました。
「マッサージをしてもらっても、その時は気持ちが良いけれどまた少し経てば凝って来る。この無痛ゆらし療法は弱刺激なので施術中は物足りなく感じるけれど、凝らなくなって来る。それをしっかりと実感させてもらいました。肩こりになって何とかするのではなくて、肩こりにならないようにする。先生のお陰で、もう肩こりの症状で悩まされる事はないと思います。」
亜弥さんはそう感想を述べてくれました。その後、亜弥さんからの往診の依頼はありません。肩こりの症状から解放されて、きっとリサイクルショップの商売に頑張っているでしょう。

あのオーダースーツのおじいさん。今日も背広を颯爽と着こなして、街を歩いている姿が眼に浮かびました。
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<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:19:00 +0900</pubDate>
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<title>2枚のマスク (左膝の痛み)</title>
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<![CDATA[
その患者さん、左膝の痛みを訴えていました。息子さんの友達の紹介でした。その患者さんから、施術中に聞いたお話です。

2月の晴れた日でした。患者さん、野原正志さんは孫に会うために自宅のマンションを出ました。エレベーターを降りて、大通りに出ると寒い北風が襟元に入って来る。思わずダウンの襟を立てて風の侵入を防いでしまう。天気は良いけれどやはり風は冷たい。でも、このダウンジャケットを着てれば大丈夫。このダウンは安売り店ではなく、高級なブランド物を扱う用品店で購入したのです。とても暖かくて、中は上等な羽毛を使用しているので、軽くて肩が凝らないし着心地が良い。デザインもお洒落で、一目でこの商品が気に入り、昨日、衝動的に買いました。寒い日が続いていたし、ちょっと外出するのには手頃と思ったのです。今日、早々に着て行く。孫の所に遊びに行くのは、以前から約束していたのですが、孫に「ジイジ似合うだろう。」このダウンジャケットを見せるのも、一つ自慢の話が増えました。値段は非常に高かったのですが、孫に会うのならいい格好をしたいと言うおじいちゃん心理も働き、衝動買いをする要因にもなりました、

通りを歩いていると、とても身体にフィットしている。高級そうに見えるので、街行く人が羨ましげに視線を向けてくれているのではと自慢の錯覚すら感じました。最初、襟元に寒さを感じましたが今は全く平気。身体の中がポカポカと温まって来るようでした。思い切って買って良かったと改めて思います。

野原正志さんは66歳になりました。昨年で会社は定年退職、仕事からは完全に退き、年金と退職金を切り崩しながらの生活です。身体は健康なので退屈で仕方がない。毎日、図書館で本を読んで時間を過ごすのが日課となり、たまに、孫の所へ遊びに行くのが楽しみとなっています。

地下鉄に乗車すると、お客は皆マスクをしています。野原さんはして来るのを忘れてしまいました。世界ではコロナウイルスが流行して、その感染症対策にマスクを着用しています。野原さんは自分が恥ずかしくなりました。妻の陽子さんが居ればマスクを忘れているよと忠告してくれるのですが、つまらぬ事で大喧嘩をしてしまい、実家に帰ってしまっていたのです。
他の乗客に申し訳ない気持ちで地下鉄を降りると、娘さんの家に向かいます。
娘のマンションのインターホンを押します。
「ジイジ、こんにちは。」9歳になる孫娘が迎えてくれました。
部屋に入ると、すぐに孫娘が言います。
「ジイジ、マスクは？」
「忘れちゃった。」そう返答すると、
「駄目だよ。マスクしなくちゃあ。コロナに感染してしまうよ。」
9歳の孫娘に叱られました。横で、娘が笑ってました。
「ジイジ、リカがマスク作ってあげる。」孫娘が言います。
「リカちゃん、マスク作れるの？」野原さんはびっくり仰天。
「作れるよ。ママに教わったの。ジイジのマスク作る。」そう胸を張りました。
孫はもう1人、6歳になるエリがいます。その日は3人でかくれんぼやトランプをして遊びました。娘さんはお父さんが来てくれるとリカとエリと遊んでくれるので、買い物に行けると喜んでくれています。何しろ、世間はコロナによる緊急事態宣言の真っ最中。ほとんどのお店が自粛して休業しています。スーパーで買いだめをしておかないと、食べ物がなくなってしまう。でも、小さい子供がいると思うように動けない。本当に助かると野原さんの訪問を歓迎してくれています。
晩になると婿さんが仕事から帰って来ます。5人で夕食を食べる。この1週間は1人の生活だったので久しぶりの団欒。ビールも飲んでほろ酔い気分、楽しいひと時でした。
帰り際、リカとエリにダウンジャケットを自慢する。
「恰好良いけれど、マスクしなきゃ駄目だよ。」と、またリカに怒られました。娘さんが聞いて来ます。
「お母さんとなんで喧嘩したの？」
「退職したからと言って、ずっと家に居られると鬱陶しいんだって。『どこかへ出て行って。』と言うから、『出ていけ』と言われても、どこに行くんだ。世間はコロナでステイホーム、図書館もやっていない。」
「パパは口うるさいから、いちいち監視されてるようで嫌になったのでしょう。それに家事だって手伝わないし。」
娘が意見を述べる。
「それで自分が出て行くと言って、実家へ帰ってしまった。」
実家には妻の年老いた母が、1人で介護保険の世話になりながら住んでいる。
「たぶん、心配しなくって大丈夫。お母さんのことも気になったのでしょう。帰って来ても、あまりこまごまと言わないことね。」
娘はそう忠告してくれたそうです。
その3日後に1通の封筒が届きます。開けるとマスクが2つ入っている。裏側に、1つにはリカちゃんマスク、もう1つにはエリちゃんマスクと書かれています。
『ジイジ、マスク作ったよ。だからしてね。コロナに感染しないように。』と寄せ書きがしてあります。
先日遊びに行った時の約束を守ってくれたのだ。マスクをしてなかったので心配してくれている。たぶん、娘の正美が作るのを見よう見まねで一緒に作ったのだろう。可愛いなと感激してしまいます。
すぐにメールでお礼の言葉を娘に送る。
「私とリカとエリ、3人で作ったの。可愛いでしょう。してあげてね。」とメッセージが戻って来る。
自然に手が動いてマスクを口に当てる。ゴム紐が耳にピッタリとフィットして、違和感はなく大きさも丁度良かった。
野原さんはこのマスクをして外出したい衝動になります。何の用もないのに、近くのスーパーへ向かいます。孫のマスクをして歩きたかったからです。せっかくだからと発泡酒を2本買います。ぶらぶら歩いていると、薬品売り場にマスクが置いてあります。これからは孫の言うようにマスクをしなければならない。2枚ではすぐに無くなってしまう。ストック2箱購入しました。
家に戻り、その1箱を開けると20枚入っている。その20枚に以前孫にあげようと買っておいてあったアンパンマンのシールを貼る。リカとエリはアンパンマンが大好き。アンパンマンのシールをプレゼントしたら喜ぶだろうなと思ったからです。シールを貼り終えると、そのマスクを持って翌日、再び娘のマンションに遊びに出向きます。
2人の孫に、送ってくれたマスクのお礼を述べてアンパンマンのマスクを渡すと、とても喜んでくれました。孫たちも外に出る時はアンパンマンのマスクをしてくれたし、野原さんもマスクを必ず着用するよと約束しました。
1週後、妻の陽子さんから1通のメールが届きます。陽子さんは些細な事から喧嘩して、実家に帰ってしまっています。
メールを開くと、リカとエリからマスクが届いたと言う。リカちゃんマスク、エリちゃんマスクと刺繍されている。『このマスク、ジイジにも送ったよ。マスクして早くジイジの所へ帰ってあげて。ジイジ寂しがっている。リカとエリより』
との寄せ書きが添えられて・・・。

途中、メールにはにっこりと笑っている人形のスタンプ。その下に伝言が続く。
『お母さんは体調を崩していたけれどもう元気。まだ施設には入らず、介護士のお世話になりながら元気にやって行けそう。
あなた、孫からマスクもらってきちんとするようになったんだって、孫には敵わないね。
このマスクも可愛いけれど、リカとエリはもっと可愛い。明日家に戻る。そうしたらリカとエリに会いに行こう。2人にお土産買ったから。』
そして、お犬さんのガッツポーズをしたスタンプ。
これからは年金生活。妻と顔を合わせた日常が繰り返されます。少し、家事を手伝おうと決心したそうです。野原さんの膝の痛みも振り子自然療法で無事に治癒しました。今では痛みなく歩けるそうです。
リカちゃんマスクとエリちゃんマスク。2枚のマスクを交互にしながら、膝の痛みを感じることなく元気に街を歩いています。2枚のマスクはコロナの感染から、振り子自然療法は膝の痛みから守ってくれています。
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<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:18:00 +0900</pubDate>
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<title>釜ヶ崎のおまわりさん (坐骨神経痛)</title>
<description>
<![CDATA[
環状線JR天王寺駅から西へ一つ目の駅が新今宮の駅です。南海電車も乗り入れています。地下鉄では御堂筋線、動物園前駅。新今宮の駅を下車して、北へ少し向かうと大阪の象徴ともいうべき通天閣があります。通天閣の周辺には、串カツ屋さんがたくさん並んでおり、通天閣に登って串カツを食べるのが観光客の定番になっています。
タレントの赤井秀和が大阪はソース文化と言っています。そう大阪人は食べ物に何でもソースを掛けて食べる習性がある。串カツ、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、豚カツ、キャベツ、天ぷら、カレーライス、ホルモン焼き、焼き肉、野菜炒め、おかずがない時はご飯に直接ソースを掛けて食べている。焼き魚でもソースを掛けて食べている大阪人を見た事がある。要するに、大阪の庶民の味付けは基本はソースなのです。
通天閣は浪速区にあるのですが、国道43号線を挟んで向かい側が西成区なので、なんとなく、西成地域にあるような錯覚も覚える。
西成はひと昔前と比べると相当綺麗になり、過去の悪いイメージは払拭され訪れやすい街になっています。観光客（特に外国人）は、大阪に来たら、通天閣にジャンジャン横丁、要するに新世界と呼ばれるこの地域に、足を運ばなければ真の大阪は見る事が出来ないとたくさんやって来ています。確かに、新世界と西成周辺に昭和の名残が残っており、昔の大阪の街を堪能できると思います。
西成には釜ヶ崎と呼ばれる地域があり、そこは、素泊まりですが、一泊、一五〇〇円から二〇〇〇円で泊まれる宿が並んでいます。むろん、釜ヶ崎で働く日雇い労働者のために安価で泊まれるように設定されているのですが、観光客でも宿泊できます。お風呂も付いています。部屋も綺麗です。ですから、お金のない外国人観光客には大変な人気です。普通のホテルに泊まれば、最低でも一万円はしますので、いかに安いか分かります。大阪へ来られる方でお金を節約したいのなら、釜ヶ崎の宿に泊まりましょう。安いです。ただ、地図上では釜ヶ崎という地名は存在しません。俗名のようです。地図上の地名では、萩之茶屋、太子、天下茶屋北と記載された住所です。
新世界のある恵比寿東から、太子、萩之茶屋、天下茶屋北へと施術の休憩時間に自転車でサイクリング。釜ヶ崎の街を探索しながら、天下茶屋北まで来て、とあるゲームセンターの前で一休み。
すると、後方から
「おいおい。」と声がします。
振り返ると、西成警察と印字された制服を着ているおまわりさんが三人立っています。
「お前どこの組の者か？」上司格に見える太った警官が言います。
『組？クミって、やくざのこと？』思わず心の中でびっくりしてしまう。
「何のことですか？」意味が分からない。第一なんで警官に突然質問されるのか分からない。
「どこの組の者かと尋ねているんだ。」隣に立っていたやや背の高い警官が繰り返す。
「組？どこにも属しておりませんよ。」
「ここをどこだと思っているんだ。」小太りの警官が言う。
「どこって、ゲームセンターでしょう。」
「あんたはここから出て来た。」
「出て来ていません。前で休んでいただけです。」
「ゲームセンターは最近閉店している。営業していない店の前でなんで立っているんだ。店の者に決まっている。」
言っている意味が分からないが、このゲームセンターがやくざか何かのアジトなのかと薄っすらと理解できる。
「テレビや新聞で今問題になっているだろう。」後ろに立っていた三人目の警官が口を開いた。
「山口組の分裂ですか？」
「そうだよ。だから我々は警戒を強化している。」
山口組が分裂した時期だった。どこかの地域で拳銃が発砲されて大騒ぎになっていた。
まさか、自分の事を山口組の組員と思っているのか。だとしたら笑ってしまう。こんなひ弱なやくざがいるだろうか。
「このゲームセンターが山口系の事務所だ。ゲームセンターはカモフラージュ、実際は営業していない。だから、ここから出て来るのは組の者しかいないのだ。」太った警官が声を荒げる。
「休んでいただけです。」
「そんな嘘が通用すると思っているのか。この先は行き止まり。なんでこんな所で休む。休むなら他にいくらでもあるだろう。」
「たまたまです。街並みを見ていたらここに来た。」
「この辺の者ではないな。どこから来た。」
「言葉が大阪ではない。」背の高い警官も言う。
大阪に住んで三〇年以上になるが、出身が関東なので大阪弁は話せない。というか小太りのおまわりさんも九州訛りが出ており大阪ではない。
「大阪生まれではないが、大阪に住んで三〇年以上です。」そう返答する。
「身なりもここの住民の格好ではない。」
確かに、その日は、白のブレザー、白のズボン、白のシャツと上から下まで白ずくめだった。日雇労働者の街、釜ヶ崎の装いとはかけ離れている。ただ、白色が好きなので、たまに服装を白で統一することがある。今日がその日だった。
「第一、今何時だと思っている。昼の二時だ。それも平日だ。人様は皆働いている。どんな仕事をしているんだ。」
まるで遊んでいるような口ぶり。平日の真昼間にぶらぶら出来るのはやくざしかいないという事か。口調が優しかったので、特に腹も立たなかったが、まあ、暇でしたので、こちらも少しおまわりさんと遊んでやれという気分。
「整体の仕事をしている。」と答える。
聞かれる前に住所と電話番号を書いて渡す。
「天王寺の駅で『無痛ゆらし療法』という治療院を営んでいる。今度、腰が痛くなったら来院してください。」と宣伝する。
「本当に整体師なのか。でも、なんでこんな時間にうろうろしている。診療所で治療している時間だろう。」
「休憩時間です。病院でも整骨院でも昼間は休憩時間でしょう。」
答えれば、また、違う質問が返ってくる。最初、すぐに誤解は解けるだろうと思っていたのだが、本当に、組の者と思っているようだ。
持ち物も調べられる。でも、反面、このおまわりさん達を逆にからかっているようで楽しくなってきた。
結局、ああだ、こうだと、意味のないやりとりが四〇分ぐらい続く。こちらは次の患者さんの予約まで、まだ、二時間近くあったので暇潰しにはちょうど良い。とことん遊んでやれと居直る。逆に、あなた達がどこの課に所属してどんな勤務を命じられているのか聞き返してやった。
さすがに、おまわりさんもこれ以上話していても埒が明かないと判断したのか、
「あんたとは、今度は警察署内で会う事になりそうだ。」と捨てセリフを投げる。
「いや、もう二度と会う事はないでしょう。」
「大阪府警は今、暴力団の取り締まりを強化している。そのうちあんたも捕まるよ。」
そう言うと西成警察の三人の警察官は去って行きました。
山口系の暴力団員。嘘でしょう！こんな弱いやくざなんてありえない。西成警察署員のあほらしさに呆れ返りました。
でもおまわりさんも大変。ご苦労様でした。

それから一週間後、天王寺療法院やすらぎの呼び鈴が鳴る。予期せぬ呼び鈴だ。
患者さんは予約して来院されるので、患者さんではない。多分、セールスかと思って扉を開ける。
すると、あの時の西成警察の小太りのおまわりさんが立っているではないか。その後方に、背の高いおまわりさん。今日は二人だ。
「なんのご用ですか。」訝しりながら尋ねる。
「実際に整体院やっているんだな。」
小太りのおまわりさん、治療院の中を見回しながらポツリと呟く。
「当然ですよ。本当に、やくざと思っていたのですか。それで今日はその確認？」
「済まなかった。あの時は本当に疑っていた。立っていた場所がゲームセンターを装った山口組系の事務所だったからな。」
「不快な思いをさせて申し訳ありません。」背の高いおまわりさんも謝ってくれた。やや、傲慢なお詫びの仕方でしたが、職務柄仕方がないのかもしれない。少し、気が晴れました。
「それより、この無痛ゆらし療法って一体どんな整体なんですか。」
言葉遣いが幾分丁寧にはなったが、今度は無痛ゆらし療法について聞いてくる。やくざの言いがかりは晴れたけど、無痛ゆらし療法とかいう、いかがわしい整体をしているとでも言いたいのかい。
「この施術で患者さんの痛みを取ってます。」
「二週間ぐらい前から、右の腰から右の足にかけて痛みがある。この施術で取れるかな。」
そういえば、先日尋問していた時も、この小太りのおまわりさん右足を引きずるようにして歩いていた。
「整形外科の病院で診てもらったが痛みが全く取れないのよ。無痛ゆらし療法で取れないだろうか。」
痛みの原因を聞いてみると、どうやら坐骨神経痛の症状に似ている。
「坐骨神経痛なら無痛ゆらし療法で完治しますよ。」と返答する。
「先生にお会いしたのも何かの縁。ここはひとつ先生の無痛ゆらし療法の施術をお願いしようか。
とにかく、右の股関節周辺が痛くて仕事に差し支える。」
そう言って、二日後に予約を取って帰って行きました。
おまわりさんがいなくなった後で、何か嫌な予感が走る。治療院を確かめてやくざの誤認は解消した。それで、腰が痛いから無痛ゆらし療法で施術してくれでは話が出来過ぎている。もしかして今度は無痛ゆらし療法に疑念の矛先を向けたのではないか。ネットでインチキ整体が幅を利かせている。治りもしないのにさも治ると言った誇大広告。騙して金を取る詐欺まがいの整体師。無痛ゆらし療法をそんなカルト療法として疑っているのでないか。警察官自身がその囮として施術を受けようとしているのではないか。
相手は警察官。もし、痛みが取れなければ偽り療法と断定される。消費者庁と協力して捜査のメスが入る可能性もある。
でも、予約はしてしまっている。結論はそのおまわりさんの腰の痛みを取ってあげて、無痛ゆらし療法が本当に痛みの取れる施術であることを実証するしかない。

二日後、そのおまわりさんは来院される。その日は非番らしい。
「とにかく、右の腰から臀部にかけて痛みがある。歩くのにも階段の昇り降りにもしんどい。何とかしてくれ。」と悲痛な叫び。
歩いてもらうと、足を引きずってはいるがそれほどの重症とは思えない。断言は出来ないが軽度の坐骨神経痛の疑いは濃い。今までの経験から三回ぐらいで治癒するのではないかとの予測。
ただ、もし痛みが取れなかったら、無痛ゆらし療法は偽りの整体と認定されるかもしれない。恵比寿の本部に消費者庁の取り調べが入る。そして、無痛ゆらし療法での施術が禁止される。そんなスリリングな戦慄感を覚えながら施術を開始する。
一回の施術で痛みはほとんど消える。
「驚いた。まだ、少し痛みはあるがズキンとした痛みは無くなっている。無痛ゆらし療法ってすごいね。」
歩かせてみると、足は引きずっていない。
「痛みはまだある。少し続けてみる。」
そう言って、その日は帰って行かれました。
結局、最初の問診時の推測通り、三回の施術で無事完治。
「職場の仲間もあちこち痛がっているから、また、紹介するよ。」とメッセージ。
「先生には失礼な話だが、今思えば先生をやくざと間違えて良かった。ホントに人間どこに縁があるかわからないね。」
こちらも、無痛ゆらし療法がインチキ整体と断定されなくてほっと一息。
施術の合間に、また、あのゲームセンターに行ってみる。あの時と同じ、営業はしておらず、ひっそりとして人影すら見えない。
本当に、ここが山口組系のアジトになっているのか。それは分からない。ただ、尋問してきたおまわりさんの真剣な顔が目に浮かぶ。
ふと、空を見上げると、灰色の雲が覆っている。今にも雨が降り出しそうな雰囲気。
急いで、治療院へと自転車のペダルを漕ぎました。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220725131605/</link>
<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:17:00 +0900</pubDate>
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<title>ハルカスは日本一 (ばね指)</title>
<description>
<![CDATA[
八月の夏の暑い月曜日でした。一組の若い夫婦が診療所を訪れます。ご主人も奥様も二〇代の後半、小さな赤ちゃんを連れてベビーカーで来院される。
ご主人は理髪店を営んでおり、奥様はその仕事を手伝っている。奥様はもともとOLをしており、理髪業と全く関係のない職種。でも、結婚と同時に勤めていた会社を辞めて、ご主人と床屋を経営するようになった。ただ、奥様はもともと別の仕事をしていたので、ずっとご主人の補助、要するに雑仕事。ご主人の腕と夫婦の人柄もあり、お店の方は順調、お客様も増えていると言う。
お客様の増員により当然多忙になり、人手不足となる。ご主人一人では手が回らなくなってくる。顔剃りは奥様の任務となる。最初は人様の顔、傷つけてはいけないと思いこわごわ剃っていましたがもう慣れたとのこと。でも、緊張感と慣れない行為のため、右親指がばね指になってしまった。このままではカミソリが持てないので、顔剃りが出来ない。顔剃りまでご主人がやっていたのでは間に合わないので、何とか治して欲しいとの要望。
ばね指は完治まで施術の回数が掛かるので、途中で諦めずにこまめに通って欲しいと予め了解を取って施術を開始する。
最初の日は、ご主人の付き添いでの来院でしたが、二回目からは奥様がベビーカーを引いての来院。一歳の赤ちゃんとご一緒です。地下鉄御堂筋線の西田辺の駅、天王寺から南に二つ目の駅なので、ベビーカーを引いて来れる距離です。でも、暑い日なのでベビーカーを押してやって来るのは一苦労。それでも汗をかき通院してくれました。何としても早くばね指を治したい、早く仕事に復帰したい、その思いが伝わってくるのです。
ありがたいことに、上手くお母さんが寝かしつけてくれて、施術中はベビーカーの上でスヤスヤと熟睡していました。たまに起きて、泣き出す事もありましたが、お母さんが抱っこするとニコニコ。ばね指の施術は子供を抱いたままでも可能なので助かりました。
「仕事をしている間は、赤ちゃんどうしているのですか。」
「母が見てくれています。おしめも母が替えてくれています。泣き出したら、お乳をあげます。ただ、あまり泣き出したら、主人に頼んで仕事を離れますけど。子供はすぐ近くにいますから大丈夫なんです。
それよりこの親指。」
そう言って、右の親指を動かす。その時、カクッとなる。刹那、直角に固定されてしまいました。片方の手で元に戻すものの、また、ちょっと動かすと動かなくなってしまう。何度やっても同じ。この症状をばね指とよく名付けたもの。まさに、親指がバネになってしまいました。
「カミソリ持てないです。困ります。手術すれば治りますか。」
「手術は最終手段。」
「わたしもあまりメスは入れたくない。」
そんなやり取りを交わす。
施術を開始して三回目、その時点ではあまり症状に効果が見られず、若いお母さん心配して聞いてきます。
「大丈夫？完治しますか。」
「最初に言いましたでしょう。一〇回ぐらい掛かるって。」
そこが問題。たいていの人はここで疑問を持つ。『無痛ゆらし療法って、本当に信用していいの？』
「多少時間とお金は掛かりますが、諦めないで下さい。最後は信用して貰うしかありません。」そう説得する。
若いお母さん、わたしの眼をじっと見つめて数秒。
「信用します。一〇回診て貰って駄目なら手術します。何事もやってみなければ分かりません。」
彼女のその瞳が晴れやかになりました。無痛ゆらし療法に対する疑念という雲が払拭されたようです。
今までの経験から、何人かのばね指の患者さんを治してきた。だからと言って、この患者さんの親指が完治するとは確約できない。駄目ならば無痛ゆらし療法が信用されなくなり世の中から葬られるだけである。でも、治癒させる自信はあった。だから、この施術をしているのだ。
施術の効果は五回目ぐらいで現れて来る。
「先生、親指、痛みがなくなってきました。でも、まだ、動かすとカクッてくるけど。」
「徐々に良くなっていきます。もう少し頑張りましょう。」
お互いの信頼が揺るぎなくなっている。完治という頂上はもう間近か。頑張って登るしかないのです。

何回目かの施術の時、お母さんが言います。
「初めて、先生の所へ治療に来た日、主人と一緒にハルカスの展望台に登りました。」
「六〇階までですか。」
「そうてっぺんまで。見晴らしすごかったです。」
「でしょう。阿倍野に来たらハルカスの展望台に行かないと。」
「大阪の街が見渡せて、本当小さく見えました。」
ハルカスが日本で一番高い高層ビル。三○○メートルある。ちなみに、日本の高層建物のベスト五は、一番はあべのハルカスですが、二番目が横浜ランドマークスター(神奈川)、三番目がりんくうゲートワークビル(大阪)、四番目が大阪府咬州庁舎(大阪)、五番目が虎ノ門ヒルズ(東京)、ベスト五の中で大阪の建物が三つも入っています。大阪はすごい。
「高過ぎて、景色が米粒のよう。目まいがしそう。」
「展望台は一回で十分です。展望台まで行くとお金を取られるしね。一七階までなら無料です。一七階にはカフェがあって、そこでカフェオレを飲みながら大阪の街を展望するのも落ち着けるし気持ちが良い。」
「一七階ですか。途中でエレベーターを乗り換える階ですね。」
「ハルカスも良いけれど通天閣には登った事がありますか。」
「一度だけ。」
治療院から東へ向かうとあべのハルカスが、西へ歩くと通天閣があります。距離にして、約二キロぐらいかな。ハルカスから通天閣まで、阿倍野と西成の街を探索しながら、十分に歩いて行ける道のりです。
「不思議なもので、同じ阿倍野の西田辺に住んでいるのに、ハルカスに来た事がなかった。先生の所にばね指の施術に来たので、主人もせっかくだから展望台に登ってみようかと、話の種になりました。」
お母さんは言います。
「そんなもんですね。身近にあり過ぎるとかえって行かない。」
「今度、主人が付いて来てくれた時は、通天閣にもう一度登ってみようかと。あそこまではベビーカーを押してはいけない。」
「ここへ来る患者さん。来る時は、天王寺からハルカスと近鉄百貨店で時間を過ごして、施術後、帰る時は、反対方向へ歩いて、通天閣と新世界周辺をぶらぶらして帰る方が多いですよ。あの辺は昔の大阪はそのまま残っている。」
「昼ご飯は名物の串カツを食べて。」
「そう、ソース二度付け禁止の串カツ屋さん。通天閣周辺にはたくさんある。美味しいですよね。大阪の名物になっている。」
そんな会話を交わしながら施術は進む。この若いお母さんは近くにお住まいですが、他府県の遠方から来院される方もいらっしゃる。ハルカスや通天閣の話題の提供は、患者さんとの初対面の堅苦しい緊張感から解放してくれる。
その日も無事に施術が終わり、右親指も少しずつ動くようになっていきました。

そんなる日、お母さん、予約の時間より三〇分ほど遅れて来院される。いつも時間にはきっちりと来院される方なので、何かあったのかと尋ねてみる。
「先生聞いて下さい。今日ね、近鉄百貨店で嫌な事がありました。先生の所に来るまでに、時間がありましたので、先生の言われたように一七階まで登ってカフェオレを飲んでのんびりしていました。あそこからの景色も爽快で格別ですね。美味しいカフェオレに、落ち着きます。
それから近鉄百貨店で買い物をしたのです。ベビーカーを引いて赤ちゃんを連れての移動でしたが、店員さんも親切でしたので結構楽しく買い物が出来ました。
ところがです。買い物が終わって一階へ降りようとした時、エレベーターがなかなか来ないのです。今日は日曜日でしたので混雑していたのでしょう。やっと来たと思ったら、今度はいっぱいで乗ることが出来ない。ベビーカーを引いているので、乗車にはスペースを取る。それでエレベーターの中に入れないのです。『赤ちゃんを連れているので、譲ってくれませんか？』とお願いするのですが、乗っている人達はほとんど無視。結局、次のエレベーターを待つしかありません。その内に三台ぐらいエレベーターを乗り過ごしました。
あまりにも不親切なので、ちょっとカリカリしていたら、後方から年配のご婦人の方の声がする。
『お母さんも大変だね。ベビーカーを押して。でも、こんな調子では中々乗れそうもないね。』
車椅子に乗ったご婦人でした。後ろで介護員の方が車を押している。
『私達もエレベーターに乗るのには相当苦労するよ。元気な人はエスカレーターを利用してくれれば良いのに…。わたしのような車椅子や、あなたのような赤ちゃんを連れていたのではエスカレーターでの移動は無理だからね。』
と恨めし気に中々やって来ないエレベーターの停止している階を確認していました。
それから、三台ぐらいエレベーターが来ましたが、やはりいっぱいで乗る事が出来ず。やっと、四台目のエレベーターで少しの空間があり、それも二台は無理なので車椅子のお婆さんに譲りました。
『あなたの方が先に待っていたのに済まないね。』と恐縮されて乗って行かれました。幸いなことに、次の次のエレベーターが少し空いていたので乗る事が出来ましたが、結局、八台のエレベーターを乗り過ごしました。時間にして約四〇分以上、八階から一階へ降りれなかったのです。それで先生の所に来るのに三〇分以上も遅れてしまった。どう思います、先生？」
診療所に入るや否や、不快な気分をぶちまけて来ます。その話ぶりは、誰かにこの腹立たしさを聞いて貰わねば気が済まないし、一日が終わらないといった雰囲気。
「それは災難でしたね。でも、エレベーターに乗っていた方は、代わってあげようという気にならなかったのですかねえ。」素朴な疑問だ。
「それが誰もいなかったですね。逆に、『こんな混んでいるのにベビーカーで来て！』というようなうさんくさい目で見られました。
そのうち赤ちゃんは泣き出すし、もう大変でした。」
「これは近鉄百貨店の方に問題がありますね。
それにしても、後から来た車椅子のご婦人に譲ってあげるとは！本当にあなたは心の優しい人だ。」
「やっとエレベーターに乗れて、一階まで降りれたのです。そうしたらその車椅子のお婆さんが待っていてくれたのです。
『これは近鉄百貨店に抗議しなければだめだ。この百貨店は身体障害者や赤ちゃん連れの客に全く配慮していない。あなたが降りて来るまでにアンケート用紙を貰ってきた。エレベーターでの出来事を書いてアンケート箱に入れておきましょう。
それと近鉄百貨店の総合受付にも電話を入れて抗議をしなければいけない。エレベーターでしか移動出来ない人が、一番エレベーターを利用できない。近鉄ではどう考えているのかとね。
わたしは今から抗議の電話を入れるけれどあなたも電話を入れなさい。こういう抗議は大勢の方が良い。
でもね、近鉄百貨店には腹が立ったけれど、あなたの優しさには嬉しかった。その優しい気持ちがあれば赤ちゃんもすくすく育っていくね。』
そう言って帰って行きました。その車椅子のお婆さんの言葉に、先ほどの不快感は和らぎ、なんとなく嬉しくなりました。」
「近鉄にも問題があるけれど、身体障害者の方やベビーカーのお母さんに譲らない客の方にも問題はあるかな。」
「確かに、皆不親切に思えました。けれど、皆さん、混雑時エレベーターを待っておられた。わざわざ降りる気はしなかったのでしょう。」
若い奥様、ここまで話すと心が落ち着いたのでしょう、いつもの晴れやかな笑顔に戻っていました。
「それで、近鉄百貨店の方には抗議の電話を入れたのですか。」
「もちろん入れました。すると、電話の対応に出た方が、先ほども車椅子に乗っている女性の方から同じような抗議の電話があったと言います。あのお婆さんすぐに電話を入れたのでしょう。」
「電話に出た方の答えは？」
「『すぐに上にあげて対処します。』との応答でした。」
「本当に対処するのかな。」思わず疑念の言葉を発してしまう。
「あんな大きな会社。一つや二つの抗議で動くとは思えない。どうせ、電話を受けた人の内々で終わってしまうかもしれない。」
「でも、抗議の電話を入れてアンケートを投書したのは良かったと思いますよ。何らかの形で近鉄百貨店も考えるでしょう。さもなければ、ハルカスは背丈だけが日本一で全く思いやりのない建物になってしまう。」
「そうですよね。」
そんな会話の中で、その日のばね指の施術は終わりました。
近鉄百貨店の身体障害者への対応のまずさと異なり、若いお母さんのばね指は徐々に回復しており、もう固まる事もなく自然に動くまでになっていました。

その翌週の日曜日の朝、再び、若いお母さんやって来られる。施術を開始してから八回目の来院。笑顔があふれんばかりで、とても嬉しそうでした。ベビーカーの中の赤ちゃんも、泣く事もなく、ニッコリ笑ってこちらに視線を投げかけてくる。微笑むえくぼがとても素敵。思わずこちらも赤ちゃんにニッコリ。笑顔と笑顔が絡み合い、その日の幸せを予感する。
「先生、今日嬉しい事が二つありました。」
そのメッセージにこちらも自然と心が和む。
「嬉しい事！」
「一つはカミソリが持てたのです。お客さんの顔が剃れました。痛みもカクカクする事もなく普通に持てたのです。ばね指完治したようです。これで今までのようにお客様の顔が剃れます。先生のお陰です。」
「それは良かった。」ほっと一息。施術者にとってこんな嬉しい報告はない。
「この仕事をしているとカミソリが持てないのは致命傷。本当に良かった。」
「もう一つは？」
「今日も近鉄百貨店に行ったんですよ。腹が立つけど。赤ちゃんの服で気に入った物があったので…。
どうせまたエレベーターに乗るのには時間が掛かると思っていたのですが、運よくすぐに一台のエレベーターがやって来た。でも、また混んでいて乗れないだろうと思っていましたし、やっぱり混んでいる。これはまた一台見送らねばと諦めたのですが、なんと、いつもなら無人運転のエレベーターのはずなのに、エレベーターガールが乗っていました。
そうして乗っている人に言うのです。
『このエレベーターは福祉優先のエレベーターです。ベビーカーを押しているお客様がご乗車されます。健常者の方は、他のエレベーターかエスカレーターを利用して下さい。元気な方、どなたか降りてくれませんか。』と有無を言わせぬ口調。
そう忠告されて降りない人はいないですよね。ベビーカー優先。赤ちゃん優先。三、四人の方は降りてくれました。
それで待つことなくすぐに乗れたのです。」
「今までは、福祉優先のエレベーターなんてなかったのでしょう。第一、近鉄百貨店のエレベーターは無人で、エレベーターガールは乗っていなかった。」
「たぶん先週、抗議したからではないですか。福祉優先のエレベーターを設置して交通整理をするようになった。」
「だとしたら、近鉄百貨店の対応が素晴らしい。拍手を送りたいね。
これで、ベビーカーを押している人も、車椅子の人も、そして身体障害者全ての人が恩恵を受けることが出来る。」
「近鉄の迅速な行動に感激でした。
時間に余裕が出来たので、また、ハルカスの一七階でカフェオレを飲みました。ハルカスは高さだけでなく、サービスや福祉面でも日本一です。」
その日の施術も順調に終了。施術後、若いお母さん、右親指を動かします。
「大丈夫！普通に動く。もう元に戻らなくなった。」
と二重の喜び。赤ちゃんを見て、
「ママの指治ったよ。」とニッコリ。
「治ったと思うけど、心配なのでもう一度来週診て貰います。主人と一緒に来ます。ただ、主人と一緒なので、日曜日は無理。稼ぎ時だからね。月曜日に来院します。」
そう言ってベビーカーを押して帰って行かれました。

翌週の日曜日、予約もなく施術の時間が空いたのでハルカスへと足を運ぶ。ハルカスの一八階には、お金の出し入れをしている池田泉州銀行がある。本当はそれが目的。施術の売り上げを入金する。それから、一つ降りて、一七階のいつものカフェでカフェオレを飲む。大阪市内の展望、何度見ても目新しく新鮮。眼下に映る大阪の街はいつもその姿を変えている。今日はどんな装い？やすらぎの中に胸がときめく。
一三階の食堂階で食事をして、エレベーターに乗る。するとエレベーターの中に近鉄百貨店の制服を着た女性が乗車している。ちょうど昼時、食事を終えた客でいっぱいになっている。エレベーターは九階に停車する。扉が開くと、ベビーカーを押した若い女性が待っていた。
即座に、エレベーターガールが言う。
「ベビーカーを押しているお客様が乗車されます。このエレベーターは福祉優先です。どなたか降りて下さい。」
あの奥さんが言った嬉しい事とはこれなのか。当然、降りようと思った。しかし、一番奥にいたことと、入口の方が降りてくれたので降りるまでには至らなかった。エレベーターはそのまま下降したが、六階でまた停車。今度は車椅子の方が待っている。これでベビーカーと車椅子の二台となる。もう健常者のお客は降りなければ乗れなくなってしまう。健常者でも年配の方を残し、他の者は乗務員に言われる前に自主的に降りた。
目の前にエスカレーターがある。健常者はエスカレーターか階段を利用すればいい。これで福祉の人達は安心してエレベーターに乗車出来る。エスカレーターで一階まで降りながら、なんとなく清々しい気持ちになる。即座に対応した近鉄百貨店に心の中でもう一度拍手を送っていた。
翌日、若いお母さんとご主人が来院される。
「先生のお陰で、また、妻はお客様の顔が剃れるようになりました。ありがとうございました。」ご主人がお礼を述べられる。
「それより、近鉄百貨店、福祉優先のエレベーターが出来ましたね。これで身体障害者の方もベビーカーの方も待たずにエレベーターに乗れる。昨日、暇が出来たので、行って来たのです。」
「そうですか。福祉優先のエレベーターありましたでしょう。
今日も施術の後、主人と一緒に、また、ハルカスの展望台に登るつもりです。きっとまた良い眺めでしょう。
それにしても、あの車椅子のお婆さんどうしているのかな。」
「もちろん喜んでおりますよ。」
「どこのどなたか知りませんが、もう一度お会いしたい。」
「いずれハルカスの建物の中で偶然に出会いますよ。運命なんてそんなもの。」
「その時は一緒に良かったねって！」
奥さんの笑顔が眩しい。治療院の窓から見える巨大なハルカスの建物の影にキラリと反射してました。赤ちゃんはご主人に抱えられてニッコリと満足そう。ご主人も妻のばね指が治癒してほっと一息というところ。
施術後、三人の家族は治療院をあとにします。
しばらくして、窓からハルカスを見上げると、今頃、あの六〇階で家族団欒、楽しく過ごしているのかと思うと微笑ましくもあり羨ましい。
西の空から、真っ赤な夕陽が幸せな光となって差し込んでいました。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220725131410/</link>
<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:15:00 +0900</pubDate>
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<title>すかっとジャパン (右前腕の痛み)</title>
<description>
<![CDATA[
そのご婦人が右前腕を痛めたのは、友達から誘われた木琴のサークルに入会して木琴の演奏をするようになったからだと言う。くりはら鍼灸整骨院時代の患者さんです。七〇歳を過ぎて、身体も元気。三人の子供もそれぞれ独立して、ご主人と二人きりの生活。家事といっても大した事もなく、暇を持て余していた。そんな時に、気晴らしに木琴のサークルに入らないかと誘われたそうです。
「もともと音楽は好きでしたし、ピアノも勉強していたので、家で主人と毎日顔を合わせているのも退屈だし、友達も出来て楽しいだろうと木琴のサークルに参加しました。
最初は木琴は初めて、わたしに出来るのかと心配でしたが、ピアノをやっていた時の経験ですかね、結構気楽に入っていけました。すぐに覚えました。親しいおしゃべり仲間もできて、練習に行くのが面白くなりました。腕も上げました。今度、発表会をする事になりました。
ところがですね、一生懸命やり過ぎたせいか、右前腕を痛めてしまった。腕を上げて振り下ろす時に痛みが出る。右腕が痛くて叩けない。来月、発表会なので、それまでに治して欲しい。」
そのような症状の訴えでした。
腕を上げる時は全く痛みは出ない。下ろす時も、何も持たなければ痛みは出ない。何かを持って力を入れて下ろすと痛みが出て来る。慣れない腕の動かし方が、痛みを誘発したのでしょう。
「発表会まで、一ヶ月ちょっとある。大丈夫です。でも、その間、練習は少し休んでもらわねばならない。」そう返答する。
「どれぐらいですか？」
そこが一番の問題。痛みが取れても練習が出来なければ意味がない。
「一週間ぐらい練習を休んで様子を見ましょう。それぐらい休めますか？」
「大分マスターしているので大丈夫だと思います。とにかく、今は痛くてばち(マレット)が持てないので、休まなくては仕方がないです。」
「とにかく、早く練習が再開出来るように頑張りましょう。」
「孫も見に来るのです。おばあちゃん頑張ってねって。だから、なんとしても治したい。まさか、腕に痛みが出てくるなんて夢にも思わなかった。」
現実はそのような不条理な事の繰り返し。慣れない筋肉を使ったので、筋肉がびっくりして炎症を起こしてしまう。せっかく練習したのに、その努力が別の悪い扉を開けさせてしまう。なら、最初からやらなければ良かったでは人間努力しなくなる。
「諦めない事です。無痛ゆらし療法で完治しますから。」
「頼りにしています。」
そんなやりとりでその日の施術は終わりました。
施術後、棒のようなものを持たせて木琴を叩く仕草をしてみましたが、痛みはほとんど取れていませんでした。施術はこれからです。

それから、一週間に二回の頻度で来院。一週間どころか、二週間以上も練習が出来ませんでした。それでも、施術を信じて来院してくれました。
施術が六回目ぐらいになった時、痛みはまだ残っておりましたが、ばちが動かせる状態まで回復してきたようで、練習を再開してみると少し安心した様子を見せてくれました。
そんなある日、孫と大阪の市営バス(現在は民営化されて大阪シティバス)に乗った事を話してくれました。
孫は六歳の男の子。小学校一年生。よく住之江の家まで遊びに来てくれる。大変なおばあちゃん子で、遊びに来るといつもおばあちゃんのそばを離れないとか。
始発の住之江公園から終点の出戸バスターミナルまでの乗車。出戸には娘（孫の母親）が住んでおり、孫を送り届けるところでした。小さい子供連れなので、一番奥の席に乗車。発車を待っていると、一人の中年の男性が携帯電話を片手に乗ってくる。乗車間際から、携帯電話で大きな声で話している。大柄で、一見やくざ風の強面。乗車口の横にドカッと腰を下ろす。腰を下ろすと、足を組んで、相変わらず携帯電話で大声で話している。その声がバス中に響いている。
バスが走り出したが、一向に話を止めることはなく、声のトーンはどんどん大きくなり、「おいこりゃ。」とか、「なんでそうなるんや。」とか、「そりゃちゃうぜ。」とか、「今度どついてやれ。」とか、大阪弁丸出しの言葉。携帯との話はどんどんエスカレートしていく。うるさくて周囲の者達が迷惑がっているのに、本人全く気に留める気持ちはない様子。とにかくその声の大きい事。誰もがいつまで続くのかと苛立たし気に目をやっている。誰も注意する者はいない。運転手さんも黙って運転を続けている。停留所を五つほど過ぎたころに、さすがに業を煮やしたのだろう一人の老人が、運転手さんにその男のことを注意するように促す。どうせなら、直接注意すればいいのにとおばあちゃん思ったそうです。
しかし、運転手さんはバスを運転している。どうやって、その男に注意するかと思ったら、信号が赤で停止した時、マイクを取り出してアナウンスし始めた。
「携帯電話でお話中のお客様。他のお客様の迷惑になりますので、大声での携帯電話のご使用はご遠慮願います。」
そうメッセージを流すと、信号も青になりバスを走り出させる。
同時にバスの乗客は一斉にその男を見る。これで携帯での通話を止めるだろうと期待を寄せながら…。しかし、その男は運転手の忠告を完全に無視した状態でぜんぜん話を止める気配はない。依然として大声で携帯と話し続けている。これには乗客も唖然。
「おばあちゃん、あの人、運転手さんに注意されても携帯止めないね。」
孫が、横で呟く。
「そうね、非常識な人だね。皆さん困惑しているのに。」
わたしは、その男に聞こえないように、孫にささやきました。
その時、三〇代ぐらいの男性が、足を床にドーンとやりました。
「運転手さんが注意しているのに、まだ喋っているのか。いい加減にしろ。」
よく言ってくれたなと畏敬の眼で思わず視線をやりました。
けれど、その携帯の男、チラッと横目でその男性に目をやると、また、何事もなかったように携帯に向かっている。さらに大きな声になったような気がした。この人の人間性を疑いたくなるようなずうずうしさだ。
三〇代の男性も諦めて座っていました。それ以上、突っ込むと本当喧嘩になりそうな雰囲気でした。結局、その大柄な男が降りてくれるのを待つしかありませんでした。
その時、思いもかけない事態が起きたのです。
なんと、うちの六歳の、孫が突然立ち上がって、その携帯男のところに歩いて行くではありませんか。はっと気が付いて止めようとしたときはもう遅かったです。
孫はその男の所へ行くと、
「おじさん。バスの中でそんな大きな声で携帯で喋っていると、皆、迷惑しているよ。」
『まずい。』と思いながらも、わたしは揺れるバスのつり革に掴まりながら、後ろから付いて行くしかありません。
「坊や。迷惑か。」
携帯男は最初意外といった表情をしましたが、怒った素振りは見せませんでした。逆に、こんな小さい子が！と仰天したようです。
「迷惑だよ。皆、嫌な顔しているよ。」
「そうかごめんな。電話切るよ。」
驚きです。携帯男は電話を切ったのです。
六歳の子に注意されて恥ずかしかったのかもしれません。次の停留所で降りて行きました。
気が付くと、バスは終着の出戸バスターミナルに到着していました。ただただ、孫に危害がなくて安堵した気分でした。
降り際、運転手さんに注意を促すように進言した老人が、料金を払いながらもう一度運転手に言います。
「あんたがしっかりと注意しないから、あれからもずっと話続けるんだ。あんたどう思っているんだ。」
「いや、もう止めると思っていたのです。」
そんな返事が返ってくる。運転手さんはバスの運転をしている。アナウンスで諭すのが限度だったかもしれない。
わたしと孫が降りようとした時、年配のご婦人が孫の頭を撫でてくれました。
「坊や勇気あったね。大人でも言えない事をバシッといったんだから。」
「皆が迷惑しているの我慢ならなかったんだ。」
その言葉にご婦人はニッコリと笑みを返すと、嬉しそうにバスを降りて行きました。

その日の施術中にその話を聞いて、動かしている手技が止まってしまう。瞬間、身体が硬直する。ちょっと、衝撃的なお話。
「お孫さんすごいですね。」
「でしょう。わたしもびっくりです。」
「お母さんとお父さんには話しましたか。」
「もちろん。婿なんか『俺の血を引いているからこの子は正義感が強いんだ』。と自慢していました。」
「お孫さん、将来、すごい事をしそうな気がします。」
「すごい事って！良い事？」
「良い事に決まっているではないですか。大物になりますよ。
ところで、お孫さんの名前なんて言うのですか。」
「毅(タケル)、と言います。この子のお父さんが、意思が強くしっかりとした人間に育って欲しいと、剛毅果断という四字熟語から、毅という文字を取ってタケルと名付けました。」
「だから、毅然とした態度が取れたんだ。きっと、お嬢さんの旦那さんも本人が仰る通り正義感の強い人なのでしょう。」
「そうですか。」おばあさんは思わず苦笑い。
施術の方はその後、順調に進む。最初なかなか取れなかった痛みもその日から嘘のように回復。
その後、二回施術をして発表会を迎える事になる。
「お陰様で発表会で演奏出来そうです。孫の前で思い切り演奏しますよ。」
「今度は毅君におばあちゃんとしていいかっこう見せてください。」
「頑張るわよ。」
右前腕に痛みが出て木琴が叩けなくなったと落ち込んでいたのが嘘のよう。元気に帰って行かれました。
発表会の後、再び来院。
「発表会大成功。しっかりと演奏出来ましたよ。『おばあちゃんかっこ良かった。』って孫も喜んでくれました。
でも、緊張したので、少し腕に痛みが出て来た。念のためにと思って…。」
たぶん人前での演奏で相当のプレッシャーがあったのだと思う。筋肉も張りつめて固くなってしまった。すでに、完治していたのでその緊張感をほぐしてやれば大丈夫。
「毅君。元気？」
「元気よ。わたしの宝。木琴はわたしの生きがいになった。その生きがいを、先生と無痛ゆらし療法のお陰で失わずに済んだ。ありがとうございました。」
お孫さんの武勇伝、今ならテレビの人気番組すかっとジャパンに取り上げられそうな題材。でも、当時はまだ、すかっとジャパンという番組はありませんでした。
そのおばあさんとの秘密の語り草。そのおばあさん一年後に片頭痛で来院される。片頭痛はその日の施術で治癒。
「孫は弁も立つのでクラスで学級委員をやっている。成績もクラスでトップ。」と自慢気に語る。
「将来は弁護士さん。困っている人や弱い人達の味方になって助けてあげるでしょう。」
「そうなって、社会で役に立つ人間として成長して欲しい。」
暑い日でした。体から汗が吹き出しそう。でも、心の中はさわやかな風が流れていました。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220725131240/</link>
<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:13:00 +0900</pubDate>
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<title>お伽噺の魔法使い (急性腰痛 (ギックリ腰) )</title>
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<![CDATA[
三月のある日、一人の高齢なご婦人がくりはら鍼灸整骨院に来院されました。初春だというのに、まだ、寒さが残っていましたが、風がなく穏やかな日でした。雨上がりで道が濡れていました。カラスが診療所の玄関の前で遊んでおりましたが、ご婦人の姿に驚いて、黒い姿をキラリと日の光に反射させて飛んで行きました。
「ここでは無痛ゆらし療法とかいう施術をしているのかい。」
受付でのご婦人の一言。
ピンクのブラウスに真っ白なスカート、真っ赤な帽子をかぶり、上から茶色のショールを羽織っていました。
「やってます。無痛ゆらし療法での施術がご希望ですか。」
「腰が痛くてな。歩くのがしんどい。娘が無痛ゆらし療法が良いと言うので来たのだよ。」
娘さんの友達が東京に在住しており、その息子さんがサッカーをしていてオスグッドになったらしい。ネットで調べて、恵比寿の本部で施術してもらったとの事。その時、あれほど痛かった痛みがたった二回の施術で完治したので、家族で無痛ゆらし療法は凄いと評判になったそう。その娘さんの紹介で無痛ゆらし療法を知った。調べたら家の近くに無痛ゆらし療法の診療所があったのでやって来た。
「施術料はいくらだい。」
「初診、八千円で、二回目から六千円です。」
「いくらでも良いよ。この痛みを本当に取ってくれるなら、一千万円出しても惜しくない。」と冗談まがいの挨拶を言う。
もしかして年齢から考えて圧迫骨折の可能性もあるので、病院でレントゲンを撮ってもらう事を勧めると、すでに撮影してもらっていると言う。
「圧迫骨折はしていなかった。他の整骨院でマッサージをしてもらっていたら腰に痛みを覚えるようになった。」
その整骨院には二日置きに通院していた。揉んでもらっている時は気持ちが良いが、その翌日はかえってひどくなる。それでまた揉んでもらう。また、すると痛みが出る。その繰り返し。強く揉んでもらって症状がかえってひどくなるのは良くある実例。特に、八〇代の女性には、実際、強い刺激は身体にあまり良くない。
「無痛ゆらし療法は弱刺激です。もし、この療法を受けるのなら、整骨院で揉んでもらうのは止めて欲しい。」
そう申し上げると、
「わたしも揉んでもらうのは止めるよ。もう懲りた。今は痛くて立ち上がるのもしんどい。」
その了承を得たので、無痛ゆらし療法の施術をする事になりました。
施術後の感想。
「驚いた。全く撫でているだけ。こんなに、緩やかな刺激だとは思わなかった。」それから、立ち上がって身体を動かす。
「腰の痛み何となく取れたような気がする。実費だから整骨院のようには来れないけど、週一回の間隔で通院して来る。」
そう言って、その日は帰って行きました。
そのご婦人が診療所を出た後、スタッフが一言。
「あのお婆さん、お伽噺に出て来る魔女みたいだね。ほうきに乗って現れたら、本当に魔女だ。」
年に似合わず茶色にカラーした髪の毛。まっすぐに肩まで伸びている。服飾が派手で、多少、腰が曲がっていたが、何といっても背が高い。一六〇センチは優に超えている。八〇代のお婆さんには見えなかった。
お伽噺の魔女。まさに、スタッフの表現がピッタリでした。

一週間後に再び来院。前回と同じ、茶色の髪に、ピンクのブラウスに真っ白なスカート、茶色のショールを羽織り、真っ赤な帽子。似合っている似合っていないはともかく、とにかく目立つ。
「楽になった。やってもらった直後はそんなに感じなかったけれど、翌日が楽だった。すっと起きられたよ。」
そう言いながら一枚のタオルを渡してくれる。
青いタオルで、真ん中に人の名前が書かれ、その上に、祝、春の選抜大会出場と刺繍されている。両サイドに高校名が書かれている。
「これは？」思わず聞き返す。
「わたしの孫が今度の選抜に出場する。生まれは関西だけれど、他県の高校に野球留学している。今年出場するので、その記念に作った。」
「真ん中に書かれている名前がお孫さんの名前？」
「そう。娘の嫁入り先の名前なので、わたしの苗字とは違うけれど。」
「すごい。甲子園球児なのだ。」思わず驚きの声。
「甲子園はもうすぐ始まる。応援に行きたい。だから、腰を治して欲しい。今の状態では、甲子園に行くのも大変だし、スタンドで座っているのもしんどい。」
孫が甲子園に出る。それは何としても、試合の日までに治してあげねばならない。
それから、二日に一回の間隔で通院してくれました。実際、一回の施術料は六千円なので、普通の人なら懐具合がしんどい。でも、お婆さんは、お金は持っているのか、それほど苦にしているようではなかった。
一年前までは、ご主人とクリーニング屋さんを経営していた。ご主人が亡くなったので、店をたたんで一人マンション暮らし。ご主人は仕事一筋の人だったので、元気な時は朝から晩まで働き詰めだったとの事。ご主人の他界と共に、クリーニング店を廃業。今は一人でのんびりと暮している。働くだけ働いた。これからは余生を楽しみたいと語る。ご主人と共に蓄えたお金があるので、老後の生活には困らないと胸を張る。主人は働くだけ働いて死んでしまったので、可哀想な気がする。その分、わたしがお金を使うと笑っていました。
腰の方は順調に回復。たぶん、クリーニング店を営んでいる時の腰への負担が大きかったのでしょう。仕事をしている時は気持ちが張っているので、何とか持ったのでしょうが、緊張感が解けて、疲労がストレスとなり今激痛となって出てきた。
「主人と一緒に働いていた時は、それは大変だった。毎日、中腰での作業が多く、走り回って洗濯していた。夏の暑い日は、クーラーがあっても、洗濯機の熱気でほとんど効かない。汗びっしょりだった。
中腰でしょう。それで腰が曲がってしまった。昔はモデルさんのようにすらっとしていたのよ。」
確かに、若い頃は背筋が伸びて体型が整った八頭身美人だったに違いない。それにしても八〇歳まで働いていたとは…。
「良い時に仕事を止められた。これ以上続けていたら、奥さんも倒れていましたよ。」
「わたしと主人は同じ年。古希を迎えた時、子供たちに祝ってもらって、子供たちからももう止めてのんびりしたらと言われていたのですよ。わたしももうこの辺で終わりにしようと言っていたのです。それが八〇歳まで頑張ると言って、結局、その八〇歳手前で、突然、倒れて亡くなってしまった。」と涙ぐむ。
「今は孫の甲子園での活躍を見る事と、美味しい物を食べ歩く事が楽しみ。応援に行けるかしら。」
「検査の結果、ひどいヘルニアでもすべり症でもない。圧迫骨折でもない。大丈夫完治して、甲子園には行けますよ。」
お婆さんその言葉に安心したように頷いてくれました。

腰の痛みは順調に回復。それと同時に春の選抜高校野球も開幕。その日は、たまたま、日曜日だったので、開会式はテレビで観戦。いよいよお孫さんの高校の入場。お孫さんキャプテンなので、校旗を抱えて入場。背が高い。お婆さんの話では、身長が一八五センチあるという。行進の姿が雄々しく逞しい。チームでは四番で主砲、ポジションはレフト。
一回戦の試合は診療があったので見られなかった。結果は残念なことに、初戦敗退。
その試合の二日後にお婆さん来院。
「腰、すっかり良くなっている。お陰さまでしっかりと甲子園で観戦出来たよ。」
「試合残念でしたねえ。」こちらとしては腰の痛みより試合結果の方が気になる。
「そんなもんだよ。残念だったけれどね。孫が甲子園でハツラツとしたプレーを見せてくれただけで嬉しいよ。
孫が甲子園球児だというだけで感激する。あそこでプレーしているのがわたしの孫だってね。」
お婆さんは試合の事に関してはそれ以上語らなかった。負けた事がやはり悔しかったに違いない。
「それより、先生には感謝。無痛ゆらし療法に感謝。あの時は動くのがやっとだった。甲子園に応援に行く事が出来たのも、本当に先生のお陰。
孫のRが昨日、うちのマンションに遊びに来た。皆、寮生活だけれど、試合後、二日間は自由行動。特に、孫は大阪出身だから里帰り。わたしの家にも寄ってくれて楽しかった。
孫が好きだったサンドイッチを作ってやった。美味しいと言って食べてくれた。嬉しかったね。でもね、嬉しさのあまり作り過ぎてしまった。
先生やスタッフの人におすそ分けするから食べて頂戴。」
施術後、お婆さんは手作りのサンドイッチを置いて帰って行きました。
治療院を出た後、やや腰は曲がっているけれど、さっそうと自転車に乗って走って行くお婆さんの姿を目で追って一安心。もう腰の痛みはありません。
スタッフがまた、同じセリフを繰り返す。
「あのお婆さん、ほんとに、お伽噺の魔女そっくりだ。」
ちょうど、昼時、サンドイッチをスタッフと一緒に美味しく頂く。孫への愛情と孫からもらう幸せを噛みしめながら、小さな喜びがブレンドされて本当にうまかった。

それから、四ヶ月。夏の到来。いよいよ、高校野球は夏の大会を迎える季節となる。あのお婆さん、腰の痛みが取れて姿を見せていないけれど、あれからどうしているのか。同時に、お孫さんの高校、再び、甲子園に出て来るのか。
新聞でその県の予選をチェックする。心配ない、圧倒的強さで予選を勝ち抜いている。
そんな折、一本の電話。聞き覚えのある声、あのお婆さんのトーンだ。
「うちの孫。また、甲子園に戻って来るよ。」まず、一言。
「おめでとう。県大会勝ったね。新聞で見たよ。」高校野球の話から始まる。
「また、応援に行かなくては…。それより、また、腰の具合が良くない。診てくれる。」
「何か無理した。」
「あれから調子が良かったので、自転車で遠出し過ぎた。」
「もう、八〇歳を超えているのだから、あまり無理しては駄目ですよ。特に、自転車はコケないように。」
八月になり、猛暑が続いている。
お婆さんは、暑い暑いと言いながら久しぶりの来院。後ろに背の高い女性が立っている。
「うちの娘です。」と紹介してくれる。
「ずいぶんと背が高いですね。」思わず出てしまう言い回し。モデルさんのようにスラッとしている。
「一七三センチあります。」娘さん腰を少し丸めながら答えてくれる。
「孫は一八五センチある。わたしの旦那はわたしたちの世代では高い方の一七五センチあった。」
「うちの家系は皆、背が高いのです。母だって、今は腰が曲がってちょっと縮こまってしまっているけれど、一六五センチあった。」
娘さんの言葉に納得する。お婆さんの若かりし頃の均整の取れたスタイルが想像できる。
「先日は母の腰を診てもらいましてありがとうございます。お陰さまで腰の方だいぶ良いようです。」娘さんもお礼を言ってくれる。
「夏も出場が決まった。また、張り切って甲子園へ応援に行くつもり。心配だから診てもらおうと思って。」
「また、お孫さんに元気をもらえるね。」
そう言って施術の再開。
その日もピンクのブラウスに、真っ白なスラックス。いつ見ても、八〇歳の年代には見えない装い。
「この洋服、ご自身で買いに行かれるのですか。」思わず聞いてしまう。
「いや、若い頃着ていた服。箪笥にしまっていてももったいないので引っ張り出して今着ている。若い頃は派手だった。でもね、洗濯屋の仕事をしている時は、こういう服はいつもは着れなかった。だから、仕事を止めたので奔放に着れる。時代遅れかしら。」少し照れ臭そう。
確かに、若い時分はとても派手な女性だったに違いない。
「そんな事ありません。とてもお似合いです。気持ちはいつまでも若くもたなくては。」
似合っているとは名状しがたい。だって、スタッフがお伽噺の魔女と呼んでいるのですから。でも、個性豊か、本当に派手なお婆さんです。
腰の方は、前回の施術で回復していたので、今回は一回で終了。
「孫のプレー楽しみ。優勝するまで応援に行くよ。」と笑顔で帰って行きました。

その年のお孫さんの高校、一回戦は勝ち上がる。お孫さんのR君、見事、四番バッターとして二塁打を打って勝利に貢献。二回戦は、試合の方は投手陣が崩れ三対九で負けてしまいましたが、R君、左中間スタンド中段に大きなホームランを打つ。R君は左打者なので、見事な流し打ち。たまたま、日曜日だったのでテレビで観戦していたが、あんな特大のホームランは阪神の往年の左の大打者、バース、掛布以外見た事がない。ホームランが出た瞬間、「やったー！」と賛辞の雄たけび。お婆さんの喜んでいる姿が目に浮かぶ。きっと甲子園のスタンドで飛び跳ねているに違いない。もしかして、この子、プロ野球に行くのではないかとそんな予感すら閃いた。
お婆さんに会って甲子園の話をしたかったが、残念な事に、腰に痛みがなかったのだろう、その後、しばらく来院することはなかった。
夏の甲子園も閉幕して、暑かった夏の日差しも秋の穏やかな気候に移り変わって行く。プロ野球も日本シリーズは福岡ソフトバンクが日本一となる。
いよいよプロ野球のドラフト会議。R君が指名されるかどうしても気になる。甲子園でのあの本塁打を目の当りにしたら、野球好きのファンとして指名されてもおかしくないと思ったからだ。
整骨院での施術が終わって、家でテレビのスポーツニュースを見る。すると、R君、楽天ゴールデンイーグルスから四番目で指名されているではないか。
「やっぱりね。すごい。」腕組をしながら、頷き感嘆する。
お婆さんに会いたくなる。会って、お孫さんがプロ野球選手になれる事を祝福してやりたかった。
しかし、その二日後に、虫の知らせのごとくお婆さん来院。手にはドラフト当日のスポーツ新聞を持っている。
「先生、見て下さい。孫、楽天から指名された。すごいでしょう。」
腰の痛みより、孫のR君の話をしに来たみたい。
「腰の痛みの方は。」
「ちょっと心配だから診て頂戴。」そんな調子。ほとんど問題はない様子。
「甲子園のホームランを星野監督に認められて指名された。」本当に自慢気で嬉しそう。
孫がプロ野球選手か。他人事ではなく、その自慢話を聞く者も、そのお婆さんの家族の一員になった気分になる。
施術後、軽く身体を伸ばしながら、
「わたしの腰は無痛ゆらし療法とくりはら先生がおれば大丈夫。」どこも痛みはない。
「でもね、孫がプロへ入った所で、一軍で活躍できるかどうか分からない。これからが心配。腰は安心なので、一軍デビューしたら仙台まで応援に行くよ。」
そう言って帰って行きました。
それから、一ヶ月ほどお婆さんは姿を見せず。腰が完治したのだから、別に来院する必要もない。
無事に契約を済ませたのかなとスタッフと語り合っていると、思い出したようにやって来る。
「無事に楽天と契約を済ませたよ。」と報告してくれる。契約にはお婆さんも立ち会ったそうだ。
何でも、二人の紳士が車でやって来て、大きな鞄を抱えていた。その中に、現金で四千万円入っていた。契約金は銀行振り込みではなく、あくまでもキャッシュ。それがプロ野球の新人契約の決まり。『あなた買います。』まさにそんな感じ。
初めて見る四千万円の現金に、お婆さん目を白黒。
「通帳の数字ならともかく、福沢諭吉さんを四千人見れるなんて壮観だったね。」感嘆しきり。
「契約書にサインすると、すぐに手配していた銀行の人が持って行ったよ。家に置いていたら危ないからね。」
「そのお金、R君、何に使うのですか。」一番気になる事。
「四千万と言っても、その内、一七百万円ぐらいは税金、高校、小学校時お世話になったリトルリーグへの寄付金で消えてしまう。二千万円は、あの子の母親が強制貯金。プロ野球から引退した時のためにね。退職金を先にもらったようなもの。残り金額を家族でおすそわけ。わたしも孫からお小遣いもらったよ。」
施術中、いろいろとうちわの面白い話を聞かせてくれる。
「孫から小遣いもらったから、治療費はたんまり。『くりはら先生に無痛ゆらし療法で、しっかり腰を治してもらってね。』って。」
R君、中々、粋な事を言ってくれる。ますます、彼が好きになり応援したくなる。楽天での活躍出来る事を祈りたくなった。
その後、三回来院してくれる。
「この腰の曲がったのは戻らないかね。」とポツリ。
「それは無理。痛みが治まったからそれで良しとしないと。」
「確かに、あの時の痛みが嘘のよう。先生のお陰です。」
晴れ晴れとした気持ちがすがすがしい。
「楽天が大阪で試合する時はもちろん。仙台にも行くよ。まだまだ若いんだから。」
そう、お婆さんは魔法使い。その日のファッションも、若かりし頃の思い出。随分と派手な装い。自分で自分に若返りの魔法を掛けたのでした。

時の流れは早く、あれから、三年。腰の痛みが再発していないのだろう。お伽噺の魔法使いは現れませんでした。
また、くりはら鍼灸整骨院を閉院して、無痛ゆらし療法専門の天王寺やすらぎ療法院を開院した時期でしたのでお婆さんの事は忘れかけておりました。
でも、プロ野球選手になったR君の事は気になる。スポーツ新聞を目にしては、楽天ゴールドイーグルスの記事を追いかけていました。一年目は全く新聞には出て来ない。二軍で鍛えられているのだろうと推測しながら、また、大阪の地なので、東北の楽天の話題など乏しく、R君の事は全く皆無に等しかった。そのシーズンの途中で、星野監督が体調を崩して休養する。代行は大久保さんでした。結局、星野さん復帰は無理で、その翌年から大久保さんがそのまま監督に就任する。
R君入団してもう四年目を迎える。新聞の楽天の記事が気になる。すると大久保監督の目にかなったのか、R君一軍登録されている。そして、シーズンの後半あたりから七番レフトR君でスターティングメンバーに名を連ねるようになった。
『あっ！R君が出ている。』思わず生唾を飲み込む。やっぱり出て来たんだ。一軍での通算打率も二割七分ぐらい。結構、打っている。お婆さんに会えたら、「やったね。」と声を掛けてやりたかった。きっと新聞片手に得意気に自慢するだろうと、その誇らしげな顔を見たかった。
それから、毎試合、楽天のレギュラーとして出場していた。そして、その年のシーズンは閉幕。入団して四年目の後半に出て来た。プロで芽を出す選手は、もう出て来なければならない。きっと来シーズンは最初からレギュラーとして顔を出して活躍しているだろう。そんな期待を膨らませながら…。

その時のオフに大久保監督が解任される。後任は現監督の梨田さん。監督が交代した事は何か嫌な兆候が走る。R君は大久保さんが監督だから、その才能が認められた。果たして、梨田さんが使ってくれるだろうか。
年が明けて、また、新しいシーズンが開幕する。R君は？ずっと楽天の試合を新聞で追いかける。その年の楽天の常時の先発メンバーは、外野はレフト、フェルナンデス、センター、オコエ、ライト、ペゲーロ、三塁がウィラー、指名打者がアマダー。横文字ばかりが並んでいる。これ日本のプロ野球チーム！
結局、R君、その年、最後までスタメンに名前が出てきませんでした。というより、ずっと二軍暮らし。昨年の後半から、一軍の試合に出て活躍していたのに…。残念！
でも、今年は二軍で調整して、翌年に期待。そう思って、楽天R君をウェブで検索すると、なんと、二次自由契約選手にR君の名前が列記されている。えっ！クビなの。目が丸くなる。もう一度確認するが、確かに、彼の名前が載っている。戦力外なのか、彼の意志で退団するのかパソコンの画面上では分からない。でも、楽天を去って行くのは確かなようだ。
その年のトライアウトをウェブで検索。ファンとしてどこまでも追いかけて行きたい。もちろん出場していた。五一人が参加。でも、合格者の中に、彼の名前はなかった。これで完全にプロ野球人としての生活に終止符を打った事になる。
お伽噺の物語から出て来たような魔法使いのお婆さんが、腰が痛いと言って、くりはら鍼灸整骨院を訪れて以来ずっとお孫さんのR君を応援していた。もちろん、R君には一度も会った事がない。お婆さんの口から聞くだけだ。そのお婆さんも、最近は姿を見せていない。腰は大丈夫なのかな。その時、無性にお婆さんに会いたくなった。
ところが、再び虫の知らせか。その一週間後にお婆さんから電話がある。
「くりはら先生ですか。良かった。捜したよ。なんで天王寺へ行ってしまったんだい。」
「移転の葉書出しましたけれど。」
「そうかい。年を取ると、そんなの気に掛けないから。」
どうやら天王寺療法院やすらぎを捜していたらしい。
「腰、また施術してもらいたい。明日、予約取れるかい。」
「空いていますよ。」
「また、先生に施術してもらえるね。」
「それより、お孫さん楽天退団したね。」
「そうなのよ。残念だけどしょうがない。明日、また話すよ。」
お孫さんの話になった時、少し、寂しそうになりました。
翌日、来院。一時、腰の痛みが再発して大変だったと言う。わたしを捜したがどこへ行ったか分からず困った様子。わたしが譲った整骨院でここの電話番号を教えてもらったそうだ。
今日の服装も以前とほとんど一緒。茶髪、ピンク色のショール、白のブラウス、グレーのロングスカート、というよりいつも同じようなファッション。色が少し変わっただけ。好みのセンスは一緒なのだろう。
「何、そんなに痛い訳ではない。でも、心配だからね。どこか悪くなったら先生に診てもらえるから安心している。だから、行方不明になったら困るのよ。」
「それはごめんなさい。でも葉書は書きましたよ。」
「そうだったね。気が付かなかった。」
施術の開始。腰の痛みはすぐに取れてしまった。
「孫は今の監督と合わなかった。」ポツリと口を開く。
「梨田さん？」
「そう、目先の勝利のために、外国人選手ばかり使っている。我慢して日本の選手を育てないんだ。」
「前の大久保さんの時は一軍の試合に出ていた。いよいよ頭角を現して来たと期待を持たせてくれたのに…。」
「前の監督の時にはね。仙台まで応援に行ったよ。レギュラー確保したって。家族で喜んだ。」
「残念でしたね。」
「やっぱり厳しい世界だ。」
「お婆さんの魔法でもR君、駄目でしたか。」
「今回は魔法通じなかった。」
それから孫の五年間のプロ野球での生活をかいつまんで語ってくれた。ただ、寂しいのか、あまり積極的には話そうとはしなかった。今は野球から離れて、別の仕事をしていると言う。
去って行かねばならない虚しい気持ちを察して、お婆さんの心の中から出て来る孫への思いを静かに胸の中へとしまう。それ以上の詮索はしなかった。
「また、痛みが再発したらお願い。」
施術後、二階にある診療院から一階までエレベーターで一緒に降りる。
お婆さんは、ビルの前に停めてあった自転車に乗る。
「えっ！腰が痛いのに、住之江から天王寺まで自転車で来た？」
「大丈夫！先生に診てもらえるのだから。」
腰はそんなに痛くなかったのだろう。でも、もう八〇代半ばを超えているはず。元気なお婆さんだ。
魔法使いのお婆さん、自転車のペダルを漕いで、国道四三号線を住之江に向かって帰って行く。自転車がまるでほうき。後ろ姿がほうきにまたがった魔女のように見えました。
腰が痛くて這い蹲るようにして診療所にやって来た日が蘇る。孫がプロ野球選手として大成するという、お婆さんと孫の夢は潰えたけれど、腰の痛みは完全に治った。新しい人生が始まり、お婆さんの魔法は、また、次の楽しい物語を作ってくれる。
お伽噺の魔法使いはその後、天王寺やすらぎには姿を見せていない。
翌年の年賀状に、
「腰は全く痛みがなくなった。けれど、年を重ねたせいか何をするのにもしんどくなって来ている。でもね、大丈夫。わたしは魔法が使えるから、魔法で二〇歳若返る。まだ、六〇代よ。」
その年のお正月は、寒さがあまり感じられない、穏やかで暖かな日差しの三日間でした。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220725131109/</link>
<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:12:00 +0900</pubDate>
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<title>岡山の桃太郎さん (右上腕の痛みと痺れ)</title>
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<![CDATA[
二〇一七年の六月、自転車で大阪市内を移動中に転倒。右肩甲骨周辺を強打してしまう。今まで、自転車でこんなひどい転び方をした事がなかったので、もう年なのかなと思わずため息をついてしまう。
でも、大した事はないと思っていたのですが、それからが大変。痛みで右肩が上がらなくなるし、寝ていて寝返りを打つのも一苦労。右上腕から右前腕、右手指の先まで痺れも出て来ました。
それでも日にち薬でそのうちに完治するだろうと思ってました。ひとまず、整骨院で筋肉をほぐしてもらえば少し楽になるかと考える。たまたま、民間の保険に加入していたので、整骨院で治療すれば一日三〇〇〇円の通院保障が出るので、ちょっとした日当稼ぎと言うご利益もあるので整骨院に通院して治療してもらうようにする。電気を当ててもらって、超音波の治療、最後にマッサージ。お決まりの整骨院での施術。仕事があるので、毎日は無理でしたが、二日に一回、二か月ほど通院しました。お陰で保険での補償金額は八万円と少し貰えるまで金額がいきましたが、肝心の痛みの方は全く取れませんでした。いや、逆に痺れはかえってひどくなったぐらい。一日中、右手が痺れている状態になってしまいました。

簡単な筋肉の捻挫程度なら、整骨院でほぐしてもらえば治癒力で自然に完治しますが、今回はどうにもそう簡単なものではないらしい。単なる打撲ではなくて、神経の方に問題が生じてしまったような気がする。
保険のお金の方はある程度貯まったので、整骨院の治療は一応切り上げて、整形外科で治療してもらうようにする。問診、触診、レントゲン撮影。
「打撲の衝撃で痛みと痺れが出ているのでしょう。詳しくはわかりませんが、神経に何らかの障害を生じたのではないか。レントゲン映像では、頸椎の四番ぐらいにズレが見られる。」との医師の回答。
とにかく、詳しく検査したいのでMRIを撮って来てもらいたいとの要請。その画像を見て判断したい。その後は、首を牽引して、リハビリをして治療していこうとの見解でした。
なぜ、首を牽引するのかわからない。頸椎のズレから来ているからか。無痛ゆらしの施術をしている経験から、首を牽引したぐらいで腕の痺れと痛みが取れるとはとうてい思えない。

その時、思い付いたのが、無痛ゆらし療法で治してもらう事。自分が無痛ゆらし療法で大勢の痛みのある人たちの痛みを取り除いて来たのに、なぜ、自分自身が痛みが出て来た時に、無痛ゆらし療法で施術してもらおうかとすぐに思い浮かばなかったのか？不思議です。ただ、その時は無痛ゆらし療法の施術から一時離れていましたので、今更と言う感じが強かったのと、また、自転車でコケたぐらい、すぐに治癒するだろうと言う油断もありました。
考えた末に岡山在住のN先生に電話を入れました。
受話器の向こうから、N先生とても仰天したトーンで一声。
「えっ！わたしが栗原先生を診るのですか。」
「お願いします。痛みと痺れでどうにもならない。幾ら無痛ゆらし療法がすごくても自分で自分を施術出来ませんから。」
実際、その時が一番ひどかった。痛みで右腕は上がらないし、右背部に激痛が走り、肩の付け根から指先まで痺れてました。
よく患者さんがあまりの痛さでどうにもならない。でも、手術するのは嫌。「『ワラを掴む思い』で来院しました。」と言われる方が大勢おりましたが、まさにそんな心境。自分に痛みが出て、患者さんの気持ちがさらにわかりました。
週末の土曜日に訪問して診てもらえるようにアポを取る。
当日、痛い右腕を摩りながら、新大阪から新幹線に乗車する。
車中、コーヒーを飲みながら、あれこれと思いを巡らす。その思いが楽しく膨らんで行きました。
無痛ゆらし療法でこの痛みと痺れが取れるのかどうか。N先生はどんな施術をするのか、ワクワクしました。と言うより、早く、この痛みを取って欲しいと言うのが本音でしたが。
N先生の治療院、今までに何回か訪問していたのでかって知ったる道のり。岡山駅から一〇分以内の大変便利な場所にあります。
N先生、どっしりした体躯、気は優しくて力持ち、岡山の桃太郎さん。きびだんご(甘い物)が大好き。患者さんや、無痛ゆらし療法を勉強しに来た生徒さんに、いつも甘い物をご馳走しております。
さて、しっかりとした問診の後に、施術開始。基本は同じでも、施術の流れは、少し自分のやり方とは異なっていました。なるほど、こういう攻め方もあるのかと大変勉強になりました。
施術中、N先生、自信気に一言。
「くりはら先生、五回ぐらい施術すれば痛みと痺れ取れますよ。」
五回ぐらいで取れるなら嬉しい話だ。わたしなら果たして五回ぐらいで取れると口に出せるか。ふと、自問自答してしまいました。
施術後、痺れは全く取れていませんでした。でも、背中の痛みが引いたような、右腕が楽に上がるようになった気がしました。痺れは一回の施術で取れる訳ない。ただ、痛みが楽になったのはありがたかったです。これは意外と早く治癒するのではないかと予感めいたものが閃きました。
「また、翌週の土曜日に施術お願い。」と予約を取ってその日はお暇する。
帰りの新幹線の中で缶ビールを飲む。この一杯が最高のやすらぎ。その時は特に美味しかった。
それから一週間。痺れは相変わらず残ってましたが、痛みが大分楽になりました。とにかく寝返りが出来るようになったのが良かったです。さすが無痛ゆらし療法、さすがN先生です。間違いなく、無痛ゆらし療法でこの症状は回復すると確信しました。
予約していたMRI検査をキャンセル。無痛ゆらし療法の見解では、自転車で転倒して強い衝撃によって、筋肉が炎症を起こしたのと、神経に支障が生じたのでしょう。その理由が無痛ゆらし療法の施術で判明した以上、高いお金を払ってMRIの検査をしても仕方がない。後は炎症を取って上げて、ずれた神経を元の位置に戻して上げれば良い。内臓的疾患でなければ何ら問題はない。
翌週、再び、新幹線に乗って岡山に向かう。天気の良い日でした。蒸し暑い夏の日差しも和らいで来ており、肩を靡く風がすがすがしく気持ちが良い。秋の訪れを感じられる一日。
車内でいつものようにコーヒーを注文。香が優しく鼻孔を包み込む。ちょっとした旅に出るワクワクした雰囲気。症状がその日の施術でどう変化して行くのか想像するのも楽しい。N先生との会話のやりとりも勉強になる。

二回目の施術。今までの自分自身の施術して来た経験から、今回の施術で痛みはもちろん、痺れもある程度取れると推測出来ていたので、興味はN先生が数ある無痛ゆらし療法の技の中からどの手技を選択してどのように治療を進行して行くか。自分自身の施術とはどのように違うのか。
施術後、痛みはほとんど消えて、痺れの方も多少残ってはいるものの以前ほどではありませんでした。N先生の施術の巧みさにも大変勉強になりました。
大阪から岡山までは遠いので、次回の施術は二、三日様子を見て予約を入れると言う事になる。帰りの新幹線の中で、痛みが消えてしっかりと熟睡できる。本当、三か月ぶりぐらいで痛みのないやすらぎ。一体、今までの痛みの継続は何だったのか。
『今までの痛みは何だったのか。』この言い回しは以前に何度も自分が診て来た患者さんからのメッセージ。今、現実に自分自身が体験しました。何だったのでしょうか？あの激痛と痺れは！

天王寺療法院やすらぎを閉鎖して以来、しばらく無痛ゆらし療法から遠ざかっておりました。この治療の件以来、再び、無痛ゆらし療法への愛着が再彷彿して来ました。また、時を同じくして、栗原先生を捜しているという問い合わせが幾つかありました。何とか、無痛ゆらし療法で施術してもらえないかとの要望です。不思議な巡り合わせです。今は施術所は引き上げてしまいましたので、往診ならとの返答。それでも良いとの事で、往診で無痛ゆらし療法の施術を再開することにしました。それにしても、こんな素晴らしい治療法、一時的にも休んでしまっていたのはもったいなかったと後悔しております。
思えば自転車でひっくり返らなければ痛みと痺れに襲われる事はなく、N先生の診療所で施術を受ける事はなかった。さもなければ無痛ゆらし療法をもう一度やって見ようと言う気は起きなかったので、痛かったけれど何か神のお告げのような気がしました。

N先生大変お世話になりました。ありがとうございます。これからも無痛ゆらし療法と言う魔法の治療法と、ご自身の卓越した手腕で、大勢の痛みで苦しんでいる人たちの疼痛を取り除いて上げて下さい。
N先生、きびだんご(甘い物)が大好き。あまり食べ過ぎて、人の痛みを楽にして上げるだけではなく、ご自身も血糖値の上昇に気を付けて下さい。
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<link>https://snt-nagomi.com/memory/detail/20220725130928/</link>
<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:10:00 +0900</pubDate>
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<title>阿倍野の胡麻味噌とじうどん (寝違い)</title>
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<![CDATA[
天王寺療法院やすらぎの郵便受けに、一枚のうどん屋のチラシが入っていました。阿倍野ハルカスから少し南へ下った所にある小雀弥という配達中心のうどん屋さんのチラシ。見るととっても美味しそう。当然、食欲をそそるように作ってあるのだけれど、思わず頼みたくなる。お腹が空いて来る昼過ぎになるとなおさらである。出前してくれるのがまた良い。外へ食べに出る手間がいらない。その日の患者さんの施術は一区切りついて、午後は八時から一人の予約がある。それまでに、夕食を取りたい。白衣を脱いで、表へ出るのも面倒だ。電話一本で持って来てくれるのなら頼む事にした。ただ、一品だけの注文で配達してくれるのか。そんな疑問もあったが、一応電話を入れてみる。
「出前七○○円以上ならOKです。」と快い返事。それで数あるメニューの中から胡麻味噌とじうどんを注文する。
三○分後、一人の青年がうどんを持ってやって来た。
「小雀弥です。お世話になっております。」元気な声だ。
「悪いね。うどん一杯で配達してもらって。」
「いいんですよ。仕事ですから。」屈託がなく、気持ちの良い応答だ。
胡麻味噌とじうどん！あまり聞きなれないメニュー。チラシの写真でおいしそうなので頼んでみたが、どんな味がするのだろうかとワクワク感で興味津々。
食べてみると、ちょっと唐辛子が効いてピリ辛感が舌を刺激する。そのピリ辛が味噌と絡み合って結構うまい。胡麻の風味も良い。他に豚肉、卵、ネギ、青野菜が入っており、ボリュームもたっぷり。施術の合間の昼食にはちょうど良い分量だ。汁も最後の一滴まで飲み干してしまった。
その翌日、診療所がお休みなので、家でのんびりとテレビを見ていると、あの将棋の天才中学生、藤井四段(当時はまだ四段)が試合で大阪に来ていると言う。藤井四段のことを特集している。その中で、藤井四段の勝負飯というコーナーになる。藤井君は長い将棋の戦いの中で、何を食べているのか。将棋で勝つ勝負飯とは何なのか。
すると勝負の最中に出前を注文する。その出前の先が、何と、昨日注文した小雀弥。ただ、阿倍野店ではなく、堀江店の方でしたが、同じ小雀弥である事は間違いない。それも胡麻味噌とじうどん。『ええ！俺が注文したものと同じ品を頼んでいる。』なんとなく感激。昨日、頼んだ店で、昨日頼んだ料理と同じ物を注文している。藤井君に不思議な親近感を覚える。藤井君は大阪へ来る度に、小雀弥で胡麻味噌とじうどんを出前してもらっているとテレビでは紹介している。将棋指し藤井四段の勝負飯だそうだ。それにしても、小雀弥というお店、今は時の人となっている天才棋士の勝負飯とは！『昨日食べたんだよ、この胡麻味噌とじうどんを！』こちらも思わずにんまりしてしまう。
その翌日、再び、小雀弥で胡麻味噌とじうどんを出前する。自分もミーハーだな、藤井君が頼んだからといってまた注文するとは！とは言っても美味しかったのも事実。テレビで藤井四段が注文していなくても、また、出前してもらっていただろう。
「今日は大変込み合っておりますので、配達に少し時間が掛かりますが宜しいですか。」と丁寧に受け答えしてくれる。電話応対もきちんと出来た心配りのしっかりとしたお店だ。
再び、一昨日と同じ青年が持って来てくれる。
「見たよ。昨日、小雀弥さんがテレビで紹介されていたよ。藤井四段の勝負飯だって。」
「見てくれましたか。それで胡麻味噌とじうどんの注文が多くて、お店はてんてこ舞いです。」
「へえ！やはり、テレビの影響は凄い。」
「別に小雀弥がテレビ局に頼んだ訳ではないのにね。こういう事ってあるんですね。」
「いい宣伝になって、お店儲かるね。」
「会社は儲かるでしょうけれど、従業員は大変です。」とニッコリ。確かにそうかもしれない。
「ところでここ何をしているのですか。」
「何しているって？治療院だよ。無痛ゆらし療法という療法で患者さんの痛みを取ってあげている。」
「お客さんは整体師さんなんですね。」そう答えると、診療所の中をきょろきょろと見回す。彼にとって、藤井四段の勝負飯より、この治療院の方が興味を引くらしい。
「そうだよ。何かいかがわしいマッサージ師のように思えた。」
「そんな事は…。」彼はそれ以上は言わなかった。
「ありがとうございました。」と言って、お金をもらうと帰って行った。

それから、週に二回ぐらいのペースで小雀弥から出前をしてもらう。胡麻味噌とじうどんだけではなくて、他の料理も頼んでみる。うどんが好きなので、どうしてもうどんを頼む。ハリハリうどん、カレーうどん、肉ぶっかけうどんが定番となる。
不思議な事にほとんど彼が配達してくれる。名前をS君といった。他にもデリバーはいるのだから、たまたま偶然の巡り合わせなのかもしれない。
そんなある日、一本の電話。出ると、小雀弥で出前しているいつもの彼だった。
「先生の所、首の寝違えも治せるのですか。」
「もちろん治せるよ。」
「昨日、起きたら首が痛くて。すぐに、治るかと思っていたが、今日になっても痛みが取れない。首を回すのにも痛くて、これでは仕事にならないので何とかして欲しい。」
「それではすぐにおいで。」
たまたま予約が入っていなかったので、すぐに来院してもらう。
「先生の事を思い出したんですよ。先生が整体師だって。」
「病院では診てもらった。」
「午前中に行って、検査してもらいました。レントゲンを撮ってもらいました。頸椎の三番と四番に少し歪みが見えるけれど別に大きな異常は全然見当たらない。寝違えだから、安静にしていたら治るって！痛み止めの薬だけもらいました。それで一度くりはら先生の施術を受けてみようかと思いまして。出前でちょくちょくお会いしているし。これも何かの縁でしょう。
かえってひどくなる事はないですよね。」
「無痛ゆらし療法は良くなる事はあっても、かえってひどくなる事はない。
レントゲンで大した異常が無かったのなら、おかしな寝方をして寝違えたのだろう。無痛ゆらし療法で完全にその痛みは取れる。」
「くりはら先生を信用します。くりはら先生の施術で半身不随にさせられても本望です。」
「自分本当にそう思っているの。」思わず苦笑いしながら聞き返してしまう。
「だって、無痛ゆらし療法なんて聞いた事がない。くりはら先生ご自身を信用するしかないでしょう。」
「大丈夫。一回か二回の施術で完治するよ。」
S君、首が痛いので恐る恐るベッドに横になる。
「痛くないですよね。」
「軽くゆらしながら触っているだけなので痛みはない。もし痛みを感じたらすぐにそのアプローチは止めて痛くない別の角度から入る。心配ないよ。」
痛みの確認をしながら、約四○分ぐらいで施術は終了する。
最初、横になってもらった時は、首を回旋すると痛みが生じてました。施術後は無くなっていました。寝た状態では普通に首が動かせるまで回復していました。
問題は起き上がった時。起きて座ってもらい、首を前後に左右に動かしてもらう。大きく回旋もしてもらう。自然に出来ている。来院した時は、痛みで動かせなかった。
「後方に反らした時、痛みがまだ残っているけれど、首が動くようになっている。先生凄いですね。」
「良かったね。半身不随にはならなかっただろう。」
「でも、何をしたのですか。気持ち良くソフトに触られているという意識しかなかった。」
「それが無痛ゆらし療法さ。今日の施術ではまだ痛みは残存していると思う。後、一、二回施術すれば完治するよ。」
「いや、本当に楽になった。くりはら先生が小雀弥で出前してくれて良かった。そうでなければこの痛みは解消しなかった。これで出前のバイトも本職も、明日から仕事に復帰出来る。」
「本職は何をしているの。」
「介護福祉士です。昼間は施設でヘルパーとして働いています。僕、一緒に住んでいる女の子がいます。もうすぐ結婚するつもりです。介護福祉士の給料は安いから、夜に出前のバイトをしています。」
「介護の仕事をしているの。」明るくてとても優しい青年だ。介護関係にはピッタリかもしれない。
その後、二回施術をして完治する。
その縁もあり、週に一回は小雀弥でうどんを注文するようになりましたが、S君が元気で配達してくれます。彼の首の痛みはもうありません！

そんなある日、往診の依頼があり、バイクで移動。いつもなら自転車ですが、少し遠方でしたのでバイクを利用。
往診先は浪速区の大国町。施術を無事に終わり、天王寺の診療所に帰る途中でバイクが動かなくなってしまいました。まさかのエンジントラブル。いくらキーを回そうがエンジンが掛からない。押して帰るしかない。
ところが、天王寺は茶臼山という小高い山の上にある。標高二六メートルで、日本で二番目に低い山だそうです。(ちなみに、日本で一番低い山はUSJがある天保山、三番目が帝塚山。要するに、山と表記される中で、低い山のベスト三が大阪市内に存在する。もちろん、日本一高い山は三七七六メートルの富士山。)
標高二六メートルとはいえ、山は山。天王寺まで辿り着くのには、この茶臼山を登らねばならない。長い登り坂が続く。そこを動かないバイクを押して登るのは相当な労力がいる。還暦を過ぎた自分にはやはりしんどい。でも、バイクを置いて帰る訳には行かないので、仕方なくバイクを押して坂道を登り始めた時、後方から聞きなれた声が響く。
「先生！何しているのですか。」
S君が自転車で追い付いて来た。いつもの笑顔が眩しい。
「往診の帰りだけれど、バイクが故障したようだ。キーを回してもエンジンが作動しない。だから、押して診療所に帰る途中なんだ。S君は何をしているの。」
「昼の介護の仕事が終わったので、夜の出前のバイト、小雀弥への出勤の途中です。」
「それはちょっとみっともない姿を見られたかな。」閉口気味に苦笑してしまう。
「エンジントラブルですね。大変だ。天王寺の治療院まで帰るのでしょう。僕がバイク押して行きますよ。先生は僕の自転車で治療院まで帰って下さい。」
「それは悪いよ。仕事へ行く途中だろう。心配せんでもいいよ。ボチボチ押して帰るよ。」
「先生六○代でしょう。この坂道を上るのはきついよ。僕は二〇代。任せて。先生は先に帰って待っていて下さい。」
そう言って、バイクのハンドルに手をやって離そうとしない。
「先生には首の寝違いを治してもらいました。せめてものご恩返し。困っている先生を置いて行く訳にはいきません。」
「実は助かるんだ。六時に患者さんの予約が入っている。だから早く治療院に帰らねばならない。」
「えっ！もう六時は過ぎてますよ。バイクは僕に任せて、自転車で治療院に戻って下さい。患者さんが待ってますよ。」
「でも、自分だって出勤の途中だろう。職場に遅れたらまずい。」
「大丈夫。七時ですから。十分間に合います。」
「本当に良いのかい。悪いな。じゃ、バイクお願いする。」
ここまで言ってくれるのなら、S君の思いやりに甘える事にした。
なんて心の優しい子だと思う。普通なら声は掛けてくれるだろうが、そのまま行ってしまう。こんな急な坂道を重たいバイクを押して戻って来てくれるなんて言わないはず。
彼に自転車を借りて急いで治療院へ戻る。その前に患者さんの携帯に十五分ほど遅れると伝言を入れる。治療院へ戻ると、患者さんは玄関の前で待っていてくれました。
それから十五分ぐらいしてS君が戻って来る。
「バイク、下に置いてあります。鍵はここです。」
「ありがとう。」と返答する。
「バイトがありますので、失礼します。」
「ありがとうね。助かったよ。」帰って行く後ろ姿に、もう一度感謝の言葉で見送る。
施術中だったので、患者さんも一言。
「あの男の子ですか。バイクを押して来てくれたのは…。」
患者さんにも遅れて来た事情を説明している。
「そうなんです。助かりました。さもなければ、もっとここに戻るのが遅れてました。」
「それは私も助かった。三○分以上も待たされたら、先生がいないと言って、私、帰ってしまったかもしれない。
バイクのエンジントラブルなんて先生も予期しなかったでしょう。本当に親切な青年がいるもんだ。それも花園からだとするとあの急な登り坂を押して来た訳でしょう。」
そのご婦人も感心しきりでした。

その日、患者さんはもう一人おられたので、施術が終わったのは夜の八時を回っている。さあ、すぐにS君の所へお礼に行かねばならない。彼はたぶん働いているだろうから、仕事の息抜きにと、他の従業員の分も合わせて缶コーヒーを二○個持って行く。ちょうど良い、小雀弥で夕食を取ろうと思った。
小雀弥阿倍野店は治療院から自転車で約五分ちょっとの場所にある。とにかくお礼を言わねばならない。自転車を漕ぐペダルが軽い。あっという間に、お店に到着してしまう。
お店にはS君の姿は見えない。
「S君は？」と女性スタッフに尋ねる。
「今、出前に出ている。もうすぐ戻ると思います。」
お礼は彼が帰って来たらという事で、まずは席に着き出前の時と同様に、胡麻味噌とじうどんを注文する。もう定番になっている。
そうこうしているとS君が戻って来た。
「先生来ていたんですか。」彼の方から声を掛けてくれた。
「今日はありがとう。そのお礼に来た。これ仕事の合間に皆さんで飲んでね。」缶コーヒーを渡す。
「ちょっと待っていて下さい。社長を呼んで来ます。」
「えっ社長さん！」別に社長に会わなくてもと一瞬思う。
厨房から四〇代前後の男性が出て来る。この方が社長さん。今、料理を作っていたようだ。
「社長、くりはら先生。僕の首の痛みを治してくれたのです。そのお礼に、今日バイクのエンジンが掛からなくて困っていたので押して帰ってあげたのです。」
「この方がくりはら先生。今日出社した時、良いことをしたと自慢していた。それより、いつも小雀弥のうどんを注文してもらってありがとうございます。」
社長も自分の所の店員が善行をしてくれて嬉しいのかニコニコ笑っている。
「先生、コーヒーありがとうございます。皆で飲みますよ。」
S君もイキイキと答えてくれる。
「小雀弥さんの胡麻味噌とじうどん、ピリッと辛味が効いておいしいですね。テレビで見ましたよ。藤井四段の勝負飯だって。大阪に来ると注文するそうですね。」
「テレビでは三回ほど放送された。映ったのは堀江店の方だけれどね。テレビ局の方もたくさん取材に来られていた。」
社長は自慢気に語る。
「良い宣伝にはなった。」
「その後、堀江店では胡麻味噌とじうどんの注文がどっと増えたそうです。」横でS君も鼻が高い。
「それはこんなおいしいうどんだもの。藤井君だけではなく、誰が食べても美味しいよ。ベストセラーは当然。」
うどんが気持ち良く胃の中に納まると、小雀弥を後にする。缶コーヒーのお礼にと、胡麻味噌とじうどんの支払いをただにしてくれた。
S君はとても優しい好青年。社長さんもとても感じの良い人です。社長さんの人柄が良いからこんな素晴らしいアルバイトが育つのでしょうか。
小雀弥さんはこれからもどんどん繁盛していくでしょう。S君は本職の介護福祉士として、その優しい思いやりのある性格で大勢の高齢者の介護に携わり面倒を見ていくでしょう。そして、小雀弥の胡麻味噌とじうどんが大好きな藤井君は、すでに四段から七段に昇進していますが、日本一の棋士になる事は間違いない。
小雀弥の店を出ると、夜の帳に包まれて静寂が漂う。メイン通りからずれている事もあり人影はまばら。店の前の街路灯が煌々と輝いて街に明かりを灯している。
「先生、お疲れさま。」S君が元気に出前に出る。
「頑張ってね。」一声掛ける。
バイクのエンジントラブルは計算外だったけれど、とても清々しい一日でした。
また、胡麻味噌とじうどんが食べたくなりました。口に入れるとピリッとした辛さが舌を包み込む。その辛さがグッドテイスト。
明日も小雀弥の胡麻味噌とじうどん出前頼もう！
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<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:08:00 +0900</pubDate>
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